朝日日本歴史人物事典 「竹本綾之助(初代)」の解説
竹本綾之助(初代)
生年:明治8.6.10(1875)
明治時代,東京に娘義太夫全盛期をもたらした中心的太夫。本名石山薗。大阪生まれ。幼少より義太夫三味線を弾く養母勝に芸を仕込まれ,明治18(1885)年ごろ上京して浅草の寄席に男装で出演し,花形となる。同じ年に竹本綾瀬太夫(5代目竹本土佐太夫)に入門し,綾之助の名を得て,19年(20年とも),両国で真打ちの看板をあげ,以後東京で活躍。端麗な容貌と美声で熱狂的な男子学生ファン堂摺連に追いかけられ,事実無根の醜聞を書きたてられるなど,現代のアイドル歌手のごとき人気を誇った。実際は親孝行で品行方正であったという。31年に結婚のため引退。41年に復帰したが往時の勢いはなく,大正14(1925)年,完全に引退した。<参考文献>埠迪子「竹本綾之助」(『近代日本の女性史』5巻)
(田中悠美子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報