リーン(読み)りーん(英語表記)David Lean

デジタル大辞泉 「リーン」の意味・読み・例文・類語

リーン(David Lean)

[1908~1991]英国映画監督。「逢びき」でカンヌ国際映画祭グランプリを獲得。のち、「戦場にかける橋」「アラビアロレンス」「ドクトル‐ジバゴ」など、国際的な大作を次々と手がけてヒットさせた。他の作品に「旅情」「インドへの道」など。

リーン(lean)

[形動]《やせた、引き締まった、などの意》生産方式や企業で、無駄を排したさま。「力強いリーン会社

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「リーン」の意味・わかりやすい解説

リーン
りーん
David Lean
(1908―1991)

第二次世界大戦後イギリスを代表する映画監督。ロンドン南郊クロイドンに生まれる。20歳で映画界入りし、フィルム編集の仕事を経て1942年監督となる。ノエル・カワード戯曲による『幸福なる種族』(1942)と『陽気な幽霊』(1945)、そして妻子ある医師と人妻の短い恋を描く『逢(あい)びき』(1945)で名声を博し、その後もディケンズ映画化『大いなる遺産』(1946)や『オリヴァ・ツイスト』(1948)など、イギリス映画らしいじみな秀作を数々発表。『旅情』(1955)でベネチアを舞台にアメリカのオールドミスの恋をロマンチックに描いたあと、『戦場にかける橋』(1957)、『アラビアのロレンス』(1962)、『ドクトル・ジバゴ』(1965)と国際的な大作に転じ、スペクタクルを絡めたスケールの大きな人間ドラマを展開して、世界的巨匠の地位についた。1957年度、1962年度のアカデミー賞の作品賞と監督賞を受賞。その後の作品に『ライアンの娘』(1970)、『インドへの道』(1984)がある。

[宮本高晴]

資料 監督作品一覧

軍旗の下に In Which We Serve(1942)
幸福なる種族 This Happy Breed(1942)
陽気な幽霊 Blithe Spirit(1945)
逢びき Brief Encounter(1945)
大いなる遺産 Great Expectations(1946)
オリヴァ・ツイスト Oliver Twist(1948)
情熱の友 The Passionate Friends(1949)
マデリーン 愛の旅路 Madeleine(1950)
超音ジェット機 The Sound Barrier(1952)
ホブスンの婿選び Hobson's Choice(1954)
旅情 Summertime(1955)
戦場にかける橋 The Bridge on the River Kwai(1957)
アラビアのロレンス Lawrence of Arabia(1962)
ドクトル・ジバゴ Doctor Zhivago(1965)
ライアンの娘 Ryan's Daughter(1970)
インドへの道 A Passage to India(1984)

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「リーン」の意味・わかりやすい解説

リーン
David Lean
生没年:1908-91

イギリスの映画監督。イギリスの小市民的な文芸映画から国際的な超大作までをみごとにこなす〈職人的〉名匠として知られ,編集技術をマスターしたその緻密(ちみつ)な構成力がもっとも高く評価されている。記録映画,劇映画の編集から出発し,1941年,劇作家のノエル・カワードの初の製作・脚本・監督作品《われらの奉仕するところIn Which We Serve》に共同監督として招かれ,次いでカワードの製作・脚本(あるいは原作)による《幸福なる種族》(1944),《陽気な幽霊》《逢びき》(ともに1945)を撮って,第一級の監督として認められた。これらの作品で,イギリス的な日常生活をいきいきと描き出し,とくに《逢びき》は〈アダルト・ロマンス(おとなの恋愛映画)〉に新風を吹きこんだ名作となり,世界中に大きな影響を与えた。

 ディケンズの小説を映画化した《大いなる遺産》(1946),《オリバー・トウィスト/放浪の孤児》(1948)がそれに続き,戦後のイギリス映画のルネサンスを築く。ディケンズものとノエル・カワードの小市民喜劇を合わせたといえる《ホブスンの婿選び》(1954),《逢びき》の延長線上に生まれた恋愛映画の名作《旅情》(1955)をへて,ハリウッドのプロデューサー,サム・スピーゲルの製作による《戦場にかける橋》(1957)と《アラビアのロレンス》(1962)でアカデミー監督賞を連続受賞し,国際的な大監督の座についた。《アラビアのロレンス》から《ドクトル・ジバゴ》(1965),《ライアンの娘》(1970)と70ミリの大画面を駆使した文芸色豊かなメロドラマで興行価値100パーセントの巨匠となり,とくに《ライアンの娘》は,70ミリのカメラで撮影された〈真の70ミリ映画〉の最後の作品といわれる。1984年から85年にかけては,長年の夢だったE.M.フォースターの小説《インドへの道》の映画化を実現させた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「リーン」の意味・わかりやすい解説

リーン

英国の映画監督。N.カワードのシナリオによる恋愛映画《逢びき》(1946年)によってイギリス・リアリズムを世界に周知させた。その後C.ディケンズの小説を映画化した《大いなる遺産》(1946年),アカデミー賞を受賞した《戦場にかける橋》(1957年),《アラビアのロレンス》(1962年)等の作品がある。1984年―1985年にはE.M.フォースターの小説《インドへの道》の映画化をはたした。
→関連項目オトゥールコロムビア映画[会社]早川雪洲ヘプバーン森田芳光

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リーン」の意味・わかりやすい解説

リーン
Lean, David

[生]1908.3.25. クロイドン
[没]1991.4.16. ロンドン
イギリスの映画監督。 1928年映画界に入り編集者として手腕をふるったが,42年ノエル・カワードと『我らが奉仕するもの』 In Which We Serveを共同監督して以来監督に転向,イギリス映画の代表的作家となった。アカデミー監督賞を2度受賞。おもな作品『逢びき』 Brief Encounter (1946) ,『大いなる遺産』 Great Expectations (46) ,『戦場にかける橋』 Bridge on the River Kwai (57) ,『アラビアのロレンス』 Lawrence of Arabia (62) ,『インドへの道』A Passage to India (84) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のリーンの言及

【逢びき】より

…1946年製作。劇作家ノエル・カワードが自作の一幕物《静物画》(1936)をみずから脚色し,すでに彼の原作による《幸福なる種族》(1944),《陽気な幽霊》(1945)を撮った新鋭監督デビッド・リーンが映画化した作品。ロッセリーニの《無防備都市》(1946)やルネ・クレマンの《鉄路の闘い》(1946)など,戦火の跡もなまなましい現実を描いた当時のリアリズム映画とは対照的に,古めかしい愛の物語を激情を抑えたイギリス的な〈控えめ〉な語り口で描き,リーンは戦後イギリス映画を代表する監督の一人となった。…

【イギリス映画】より

…イギリスには,映画の前史を形成したもっとも重要な人々が存在した。18世紀後半に〈パノラマ〉を考案したR.バーカー,19世紀前半に〈ファラデーの車輪〉と呼ばれる装置を発案したM.ファラデー,〈ソーマトロープ〉を考案したフィットンとパリス,〈ゾーエトロープ〉を考案したW.G.ホーナー,19世紀後半には初めて〈連続写真〉の撮影を行ったE.マイブリッジ,映画用カメラを初めて作ったW.フリーズ・グリーン等々。次いで1896年3月に《ドーバーの荒海》と題した自作のフィルムのイギリスでは初めての興行上映を行ったR.W.ポール,1900年前後にいち早くクローズアップやカット・バックといった映画的手法や,ロケーション撮影や書割を背景に用いたセット撮影を駆使して世界最初の〈モンタージュ〉を試みたG.A.スミスをはじめ,J.ウィリアムソン,C.アーバン,C.ヘプワースら,映画史家G.サドゥールによって〈ブライトン派〉と名づけられた映画のパイオニアたちが輩出した。…

【戦場にかける橋】より

…アメリカの資本と監督デビッド・リーン,主演アレク・ギネスをはじめとするイギリス人のスタッフによってイギリスでつくられたアメリカ映画。1957年製作。…

※「リーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

脂質異常症治療薬

血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...

脂質異常症治療薬の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android