窪野村(読み)くぼのむら

日本歴史地名大系 「窪野村」の解説

窪野村
くぼのむら

[現在地名]城川町窪野

三滝みたき川の上流寺野てらの川沿いの谷間の村で下流土居どい村。三滝(六四二メートル)があり、さらに北東大茅おおがや(八三九メートル)の曲折した峠を経て、土佐(現高知県檮原町)に至る。宇和島藩領。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)宇和郡の項に「窪野村 茅山有、小川有」と記される。

「宇和旧記」所収の文明一四年(一四八二)の三滝蔵王大権現堂建立棟札に「日本国伊予州宇和庄須智郷北川村」とあり、中世末には北川きたのかわ村と称される地域に含まれていたと考えられる。

太閤検地石高は三九五石五斗八升、耕地面積の比率は田が四〇パーセント、畑が六〇パーセントであったが、寛文検地では石高は約二・二倍に増加し、田畑の比率は田一八パーセント、畑八二パーセントと変化し、江戸初期に山畑の開発が著しかった。

窪野村
くぼのむら

[現在地名]松山市窪野町くぼのまち

現松山市の最南端に位置する山村。村のほぼ中央部を三坂みさか峠に源を発する窪野川が北流し、それに沿って南北に狭小な平地がある。そのほかは四国山地に続く高峻な山間地である。南方の村境に引地ひきじ(一〇二六・八メートル)がそびえ、その西に三坂峠(七二〇メートル)がある。東は上林かみばやし(現温泉郡重信町)、西は久谷くたに村、南は東明神ひがしみようじん(現上浮穴郡久万町)、北は浄瑠璃寺じようるりじ村に接する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

土砂災害

大雨や地震が誘因となって起こる土石流・地滑り・がけ崩れや、火山の噴火に伴って発生する溶岩流・火砕流・火山泥流などによって、人の生命や財産が脅かされる災害。...

土砂災害の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android