科学技術新体制確立要綱(読み)かがくぎじゅつしんたいせいかくりつようこう

大学事典 「科学技術新体制確立要綱」の解説

科学技術新体制確立要綱
かがくぎじゅつしんたいせいかくりつようこう

1941年(昭和16)5月,戦時色を強める当時の日本において,科学技術に係る新体制確立を目指し,第2次近衛文麿内閣で閣議決定された政策。目的は,高度国防国家完成の根幹である科学技術の国家総力戦体制を確立し,科学の画期的振興と技術の飛躍的発達を図るとともに,その基礎である国民の科学精神を作興し,もって大東亜共栄圏資源に基づく科学技術の日本的性格の完成を期したものとされる。背景には戦時総動員体制が色濃く,その面においてこの新体制は1945年の敗戦によって崩壊した。ただ,この頃から「科学技術(日本)」なる用語が使われ始め,現在もこの用語はさまざまな政策文書で使われていること,研究活動の振興,研究費の充実,研究者養成の計画的実施など,政府主導による科学技術政策の推進という体制に通じるものもあるとして,現在の科学技術基本法や科学技術基本計画との類似性を指摘する意見もある。
著者: 山本眞一

出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の科学技術新体制確立要綱の言及

【科学技術政策】より

…満州事変以後戦時色がしだいに濃くなり国防力強化を目ざして技術振興がとりあげられ,重工業に対する各種の育成措置がとられた。国家総動員体制となった39年には企画院に科学部を置き,科学動員が進められたが,41年第2次近衛文麿内閣で閣議決定をみた〈科学技術新体制確立要綱〉は,科学と技術の各分野を総合的に振興しようとする政策として最初のものであった。〈高度国防国家完成の根幹たる科学技術の国家総力戦体制を確立し,科学の画期的振興と,技術の躍進的発達を図るとともに,その基礎たる国民の科学的精神を作興し,もって大東亜共栄圏資源に基づく科学技術の日本的性格の完成を期す〉という基本方針にその性格のすべてが示されている。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」