神郷村(読み)じんごうむら

日本歴史地名大系 「神郷村」の解説

神郷村
じんごうむら

[現在地名]能登川町神郷

たね村の南、和田わだ(一八〇・一メートル)の西麓にあり、西部のとの、東部のごう、南部のもりの三集落からなる。乎加おか神社が鎮座することから地名があるといわれ、「和名抄」に記す神主かむぬし郷の遺称とする説がある。「東大寺三綱記」にみえる「神崎郡神主郷」も当地一帯をいうものだろう。応安四年(一三七一)一二月八日の比牟礼八幡宮神領注文(日牟礼八幡宮文書)に「神崎郡神郷内安元名小地頭職事、金田殿御状分明也承久広綱散在御領内也」とみえ、近江守護佐々木定綱の嫡男で承久の乱に際し上皇方に荷担して殺された広綱が、かつてこの神郷内安元名の地頭職を有し、のち佐々木頼綱(金田殿)の時代に日牟礼ひむれ八幡宮(現近江八幡市)に寄進されて神領の一つとなったと推定される。「実隆公記」大永五年(一五二五)四月二四日条によれば、この神郷内に三昧堂を建立し浄土院と号するための綸旨が元応寺明玖より申請され認められている。

神郷村
じんごうむら

[現在地名]豊橋市石巻いしまき

石巻山の西麓に位置する。「三河国名所図絵」に「吉田から一里余、二川の奥也」とある。「和名抄」所載の八名やな美和みわ郷の地に属すとされる。「残篇三河風土記」に「八名郡美和郷有美和神社、神明式所謂石巻神社即是、今在神荘神郷村石巻山」とあり、「三河国古蹟考」は「美和方廃、有神荘、領神郷・金田・神谷・浪上四村、亘玉川・下条・嵩山諸邑盖其域也」と記し、古来石巻神社領であったことを伝えている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報