神栖(読み)カミス

デジタル大辞泉 「神栖」の意味・読み・例文・類語

かみす【神栖】

茨城県南東端にある市。鹿島臨海工業地域での重化学工業ほかピーマンなどの栽培や漁業も盛ん。平成17年(2005)8月神栖町波崎町編入市制施行。人口9.5万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「神栖」の意味・読み・例文・類語

かみす【神栖】

茨城県南東端の地名。利根川下流左岸を占める。鹿島灘に面して人工港の鹿島港が建設され、工業地帯形成息栖神社がある。平成一七年(二〇〇五波崎町を編入・市制。

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改訂新版 世界大百科事典 「神栖」の意味・わかりやすい解説

神栖[市] (かみす)

茨城県南東端の市。2005年8月神栖町が波崎(はさき)町を編入,市制施行して成立した。人口9万4795(2010)。

神栖市北西部の旧町。旧鹿島郡所属。1970年町制。人口4万8575(2000)。東を鹿島灘,西を外浪逆浦(そとなさかうら)にはさまれ,鹿島砂丘の北部を占める。町名は三社参りで知られる鹿島神宮の摂社息栖(いきす)神社と神之池(ごうのいけ)の名にちなむ。かつては麦,スイカなどの砂丘農業が行われていたが,昭和30年代に鹿島臨海工業地域の建設が始まると砂丘に掘込み式の鹿島港がつくられ,神之池の大部分が埋め立てられて,全国でも有数石油化学コンビナートをもつ工業地区に変わり,人口も急増した。工業地区西部の大野原や南部の知手には住宅団地,商店街が立ち並び,交通路もこれらの地区を中心に碁盤目状に広がる。畑地面積は激減し,代替地は農業団地に集約されて,ピーマンなどの施設園芸中心となった。1973年には小見川・息栖両大橋が完成し,千葉県側との交通が便利になった。

神栖市南東部の旧町。旧鹿島郡所属。人口3万9051(2000)。利根川下流と鹿島灘にはさまれ,町域の大半が砂丘で占められる。中心集落の波崎は利根川河口北岸にあり,銚子大橋で対岸の銚子市街地と結ばれている。明治期にはイワシ地引網漁業が栄え,昭和初年利根川沿いに岸壁が築造されて県下で那珂湊(現,ひたちなか市)に次ぐ漁業の根拠地となった。水産加工も盛んである。農業は近世期以来砂丘を掘って開田する〈掘下げ田〉によって営まれたが,生産性は低かった。現在は西部地域を中心にピーマン,スイカ,メロンなどのハウス栽培が盛んになっている。正月の祝いに使われるセンリョウを特産。鹿島開発の一環として波崎工業団地,土合ヶ原住宅団地がつくられ,工業団地では鉄鋼,化学,機械などの工場が操業している。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「神栖」の意味・わかりやすい解説

神栖
かみす

茨城県南東部、鹿島郡(かしまぐん)にあった旧町名(神栖町(まち))。現在は神栖市の北部を占める地域。旧神栖町は1970年(昭和45)町制施行。2005年(平成17)同郡波崎町(はさきまち)を編入し、市制施行、神栖市となった。神栖の名は旧町域にあった神之池(ごうのいけ)と息栖(いきす)神社の各1字をとったもの。旧町域は鹿島砂丘と常陸利根(ひたちとね)川沿岸沖積地とからなり、海洋性の温暖な気候をもつ。国道124号、鹿島臨海鉄道(貨物)が通じる。近世には多くの旗本領に分割されていた。米作とスイカのほかは農漁業も不振であった。北浦南部の放水路であった堀割(ほりわり)川の河口が1963年より鹿島港の掘込み基点となり、地域開発が進められた。1980年までに鹿島臨海工業地域が造成され、神栖はその中心となり、石油精製、石油化学、火力発電などが立地した。すでに1970年から操業していたが、1995年(平成7)には9968億円の製造品出荷額をもつ工業都市となった。縮小された農地ではピーマン、花卉(かき)などの施設園芸、稲作、畜産が行われる。息栖神社は鹿島、香取(かとり)両神宮とともに東国三社の一つ。曲家(まがりや)形式の山本家住宅は国指定重要文化財。

[櫻井明俊]

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