碓氷郡(読み)うすいぐん

日本歴史地名大系 「碓氷郡」の解説

碓氷郡
うすいぐん

面積:一七四・一七平方キロ
松井田まついだ

県西部に位置する。昭和三〇年(一九五五)までは安中市、高崎市の一部、群馬郡倉淵くらぶち村・榛名はるな町の各一部を郡域に含んでいた。現在は一郡一町。郡名は正倉院宝物中の揩布屏風袋に「上野国碓氷郡飽馬郷戸主」、「続日本紀」天平勝宝元年(七四九)五月一五日条に「上野国碓氷郡人外従七位上石上部君諸弟」とみえ、訓は「和名抄」東急本国郡部に「宇須比」とある。

〔原始・古代〕

入山いりやま川の支流千駄木せんだぎ川の河岸段丘上には、縄文時代前期から始まる千駄木岩陰遺跡がある。周辺地域特有の角礫岩の巨大な転石を利用した岩陰遺跡で、出土遺物から長野県側との交易が推測される。弥生文化の伝播は遅かったようで、古墳時代には碓氷川や九十九つくも川沿いに後期から終末期にかけての古墳があるが、おもな勢力については、安中市の簗瀬二子塚やなせふたごづか古墳(前方後円墳)の被葬者や、同じく秋間あきま窯跡群の掌握者などが想定されている。

律令制のもとで上野・信濃両国を結ぶ官道は東山道であった。一説では信州から入山峠越、一説ではとうげ越で上野に入り、松井田町横川よこかわ土塩ひじしお新井あらい高梨子たかなし国衙こくがを経て安中市郷原ごうばらに至ったとされる。入山峠祭祀遺跡は道中の安全を祈るもの、また愛宕山あたごやま遺跡は官道を管理する役人の住居跡と理解する説がある。日本武尊が弟橘媛をしのんだおりに登った「碓日嶺」(日本書紀)、防人らが別れを惜しんだ「碓氷の山」「碓日の坂」(万葉集)は、入山峠越の道であった。「和名抄」には碓氷郡の郷として飽馬あきま石馬こくま坂本さかもと礒部いそべ石井いわい野後のじり駅家うまや浮囚ふしゆう八郷が載る。このうち松井田町の国衙が石馬郷、人見ひとみが礒部郷に含まれる可能性が指摘され、坂本郷が松井田町から安中市西部にかけて存在したと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報