石滝村(読み)いしたきむら

日本歴史地名大系 「石滝村」の解説

石滝村
いしたきむら

[現在地名]高萩市石滝

花貫はなぬき川の下流右岸に位置して流域平地が開け、南には台地東西に延びる。岩城相馬いわきそうま街道(現県道)が西端を南北に通り、東は海、北は安良川あらかわ村。常陸国赤浜妙法寺過去帳の弘治元年(一五五五)に「道蓮二郎衛門イシタキ二廿四」とみえ、文禄四年(一五九五)岩城領検地目録(静嘉堂文庫蔵)には「九拾五石弐斗三升八合 (たつこ山)石滝いな村」とあり、寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高には「百壱石五升 外拾壱石三斗弐升四合新田 石滝村」とみえる。石滝村人別改元帳(鈴木家蔵)によると、文化元年(一八〇四)の家数一九・人数八五、馬一五であった。

石滝村
いしだきむら

[現在地名]小国町石滝

五味沢ごみざわ村の南にあり、集落あら川支流石滝川の流域に点在。大永七年(一五二七)九月五日の伊達稙宗安堵状案(伊達家文書)によると、上郡山大炊助より買った「下長井□□□□石滝在家、山添而一宇不残、年貢三貫文」の地が大塚信濃守に安堵されているが、これは当地のことと思われ、天文二二年(一五五三)晴宗公采地下賜録では「小国の内、いしたき在家」が大塚信濃に与えられている。近世初期の邑鑑に村名がみえ、高八五石余、免二ツ三分、家数四(うち役家二・肝煎一)・人数三八、役木として桑をあげる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android