石峰寺(読み)せきほうじ

日本歴史地名大系 「石峰寺」の解説

石峰寺
せきほうじ

[現在地名]伏見区深草石峯寺山町

七面しちめん山の西麓に位置する。単立(黄檗系)、百丈山と号し、本尊薬師如来。宝永(一七〇四―一一)の頃、黄檗萬福まんぷく(現京都府宇治市)の六世千呆の創立と伝える(都名所図会)。本尊は恵心(源信)作と伝え、もと多田満仲の念持仏で、摂州多田ただ郷に沙羅連山石峰寺を建立して安置していたものという(同書)。以前は諸堂を完備した寺であったが、大正四年(一九一五)火災にあい、現在は本堂庫裏を残すのみである。当寺の裏山に石仏群がある。晩年に当寺に住した画家伊藤若冲(寛政一二年没)下絵を描いて作らせたものと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「石峰寺」の意味・わかりやすい解説

石峰寺
せきほうじ

京都市伏見(ふしみ)区深草石峰寺山町にある禅宗系単立寺院。百丈(ひゃくじょう)山と号する。本尊は地蔵菩薩(ぼさつ)。1711年(正徳1)黄檗(おうばく)山万福(まんぷく)寺6世千呆(せんがい)の創建と伝える。画家伊藤若冲(じゃくちゅう)(1716―1800)が晩年当寺に住し、釈迦(しゃか)一代記を主題とする諸像の下絵を描いてつくらせたという石仏群がある寺。明治初期には伝空海(くうかい)作の鎮宅霊符神を安置したが、のち火災にあい、現存の本堂(霊符堂)は1921年(大正10)再建のものである。寺宝には釈迦三尊図(狩野元信(かのうもとのぶ)筆)のほか若冲の画(え)が多数あり、境内に若冲の墓、筆塚がある。

[大鹿実秋]

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