矢奈比売神社(読み)やなひめじんじや

日本歴史地名大系 「矢奈比売神社」の解説

矢奈比売神社
やなひめじんじや

[現在地名]磐田市見付

見付みつけ宿の東端、旧東海道北側の磐田原台地上にある。主祭神は矢奈比売命・菅原道真。旧県社。矢奈比売天神社、見付天神社とも称され、江戸時代末まではおもに天神社もしくは見付天神社と称された。「延喜式」神名帳記載の磐田郡「矢奈比売ヤナヒメノ神社」は当社に比定される。「続日本後紀」承和七年(八四〇)六月二四日条には「磐田郡无位矢奈比売天神」が従五位下を授けられ、「三代実録」貞観二年(八六〇)正月二七日条には「従五位上矢奈比売神」が正五位上に叙せられたことがみえる。天神と称されるようになったのは菅原道真を祀って以後のことで、記録によると「天神」を筑前国太宰府天満宮から遠江国見付北野天神平きたのてんじんびらに勧請したのは正暦四年(九九三)八月一一日とされる。当社より北へ約一・六キロ離れた地(現元天神町)元天神もとてんじん社があり、里宮の矢奈比売神社に対する山宮(奥社)として位置づけられている。江戸時代には朱印地五〇石を与えられ、うち七石は見付宿に、四三石余は豊田とよだ小山おやま(現袋井市)にあった(正保郷帳・「遠淡海地志」など)

当社から奉納されたと伝える大般若経六〇〇巻が長野県こま市の天台宗光前こうぜん寺にある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報