デジタル大辞泉
「真葛原」の意味・読み・例文・類語
まくず‐はら【真葛原】
葛の一面に生えている原。
「―なびく秋風吹くごとに阿太の大野の萩の花散る」〈万・二〇九六〉
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まくず‐が‐はら【真葛原】
※新古今(1205)恋一・一〇三〇「わが恋は松を
時雨の染めかねて
真葛が原に風騒ぐなり〈
慈円〉」
[2] 京都東山の西側のふもと、
知恩院三門付近から円山公園をはさみ
双林寺・
八坂神社に至る台地一帯の
古称。(一)の
挙例の慈円の歌によまれた真葛原に付会した
地名であろう。まくずはら。
まくず‐はら【真葛原】
(「まくずわら」とも)
[1] 〘名〙 葛が一面に生い茂っている原。まくずがはら。《季・秋》
※
書紀(720)天智一〇年一二月・
歌謡「
赤駒の い行きはばかる 麻矩儒播羅
(マクズハラ) 何の
伝言(つてこと) 直
(ただ)にし良
(え)けむ」
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
真葛原 (まくずがはら)
京都市東山区円山町の円山公園を中心とし,周囲の青蓮院,知恩院,双林寺,八坂神社などを含む地域。東山山麓の傾斜地。《新古今和歌集》巻十一に〈わが恋は松をしぐれの染めかねて真葛原に風騒ぐなり〉の歌を残す慈円は青蓮院門跡であった。文人の愛好した地で,双林寺境内に西行庵があり,ここで没した頓阿の像とともに西行像が安置される。平康頼の山荘も双林寺付近にあり,そこで《宝物集》を著したという。近世,池大雅も住した。
執筆者:奥村 恒哉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報