宝物集
ほうぶつしゅう
鎌倉初期の仏教説話集。平康頼(やすより)作説が有力。一巻本、二巻本、三巻本、七巻本の各系統に分かれるが、一巻本は1179年(治承3)ごろ、それを増補・改編したと思われる七巻本は1183年(寿永2)ごろの成立かと推定される。京都の嵯峨清凉(さがせいりょう)寺の通夜のおりの座談の聞き書きという形をとっており、仏法こそが人間にとって第一の宝であるということが、例話や和歌を引きながら物語られる。座談の形式は『大鏡』や『無名草子(むみょうぞうし)』などと同じくし、内容的には源信(げんしん)の『往生要集』に倣ったところがあるが、教理を体系的に概説しようとする意図が強く、説話集としての魅力にはやや欠ける。しかし、鴨長明(かものちょうめい)の『発心(ほっしん)集』などの仏教説話集にその内容、詞章の面で受容されていったと考えられるほか、『保元(ほうげん)物語』『平家物語』『曽我(そが)物語』『日蓮遺文(にちれんいぶん)』などの諸作品への影響も指摘されており、文学史上、注目される存在である。
[浅見和彦]
『小泉弘編『古鈔本 宝物集』(1973・角川書店)』
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宝物集【ほうぶつしゅう】
鎌倉初期の仏教説話集。平康頼作。鬼界ヶ島から赦免されて京に帰った康頼が,嵯峨の釈迦堂(清凉寺)にもうで,参籠(さんろう)の人びととの語らいを記録したという体裁。世の中の真の宝は何かについて語り合われ,まず〈隠れ蓑〉,ついで〈打ち出の小槌〉,〈金〉と,順次にこれこそ第一の宝であるとするものがもち出されるが,最後に僧によって,仏法が第一の宝であると主張され,その僧が例話をあげてそのことを説明する。法語的説話集の先駆けとなり,《撰集抄》《発心集》などに影響を与えた。
→関連項目説話文学|ラーマーヤナ
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宝物集
ほうぶつしゅう
鎌倉時代初期の仏教説話集。平康頼作とされるが,1,2,3,7巻本などさまざまな伝本があって,作者を1人に限定することはできない。治承年間 (1177~81) 成立か。内容は,仏典から引用された説法,中国の歴史,孝子説話,日本人の発心,遁世,霊験,因縁説話など。説話ごとに作者の批評感想が付されており,『閑居の友』『撰集抄』あるいは『発心集』などと共通した性格をもつ。
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ほうぶつしゅう ‥シフ【宝物集】
平安末~鎌倉初期の仏教説話集。平康頼著。康頼が帰洛した治承三年(
一一七九)以後数年間の成立。最古態の一巻本を初めとして、内容的に出入のある二巻本・三巻本・六巻本・七巻本及び九冊本が存し、
諸本の成立過程は
複雑。嵯峨清涼寺における
僧俗の
談話という、「大鏡」「無名草子」などのような座談・問答形式をとる。
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宝物集
ほうぶつしゅう
鎌倉初期,平康頼の仏教説話集
康頼は,俊寛らと平家討滅をはかって捕らえられ鬼界ケ島に流され(鹿ケ谷の陰謀),許されて帰京したのち執筆。『大鏡』にならって問答体をとり,仏教が第一の宝物である理を説話によって説いた。
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デジタル大辞泉
「宝物集」の意味・読み・例文・類語
ほうぶつしゅう〔ホウブツシフ〕【宝物集】
平安末期の仏教説話集。1巻・2巻・3巻・7巻の諸本が伝わる。平康頼著。治承年間(1177~1181)ごろ成立。嵯峨の釈迦堂での会話の聞き書きの形式をとり、多くの説話を例に引きながら仏法を説いたもの。
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ほうぶつしゅう【宝物集】
鎌倉時代の法語。平康頼(やすより)編。12世紀末の成立。1巻,2巻,3巻,6巻,7巻,9巻などのさまざまな形態のものがおこなわれた。それぞれ,収録説話,収録和歌に繁簡の差があり,叙述に精粗の差がある。康頼の編んだ《宝物集》がどのような形態・内容のものであったか,現在ではややあいまいになっている。鬼界ヶ島より帰洛して東山に籠居した康頼が,2月20日のころに嵯峨の清凉寺にもうで,参籠の一夜の諸人の語らいを記録した,という体裁がとられている。
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世界大百科事典内の宝物集の言及
【平康頼】より
…のち赦免されて都に帰り,86年(文治2)源頼朝から阿波国麻殖保保司職を与えられた。仏教説話集《宝物集》の編者とみられる。【小田 雄三】。…
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