真臘風土記(読み)しんろうふどき

改訂新版 世界大百科事典 「真臘風土記」の意味・わかりやすい解説

真臘風土記 (しんろうふどき)

中国,元代に著された真臘カンボジア)のアンコール朝後期の見聞録で,当時の風土,社会,文化,物産などを記した書。全1巻。著者の周達観(1264ころ-1346)は浙江省温州出身で,航海の経験・知識に深い人であった。彼は元の成宗の命で真臘招撫の随奉使の従行に選ばれ,1296年真臘へ赴き,97年帰国した。《真臘風土記》は帰国直後に書いた私的な著作であるが,1年半の滞在時の詳細な調査報告書であり,民俗史料として価値が高い。その内容は,真臘の名称考および温州からの水陸の道程を記した〈総叙〉に始まり,城郭(アンコール・トム),服飾,官属,三教,産婦,争訟,病癩,死亡,耕種,貿易車轎,属郡,村落,澡浴,そして国主出入まで合わせて42項目にわたり細かく記載している。版本は清初まで7種ほどあったといわれるが,明の陶宗儀纂の《説郛》巻39などに収載されている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「真臘風土記」の意味・わかりやすい解説

真臘風土記
しんろうふどき
Zhen-la feng-tu-ji; Chên-la fêng-t`u-chi

カンボジア (→真臘 ) に関して記した中国の書。元の周達観が 1296年より翌年にわたって元朝からの使節に随行してカンボジアを訪れ,その帰国後に著わした見聞録で,およそ 40項目にわたって真臘の国情を詳細に記している。アンコール朝盛時のカンボジアを知るための第1次資料としてその史料的価値は高く,フランス人学者 P.ペリオがすぐれた訳注を発表している。

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世界大百科事典(旧版)内の真臘風土記の言及

【アンコール・トム】より

… バイヨンのほか,アンコール・トムの内部にはピメアナカス寺(10世紀末~11世紀初頭),バプオン寺(1060),〈癩王〉および〈象〉のテラス(12世紀末),プレア・パリライ寺(12世紀前半),プリヤ・ピトゥ寺(主要部分12世紀前半),プラサート・スウル・プラット寺(12世紀末),クリヤン寺(10世紀末~11世紀初頭),テップ・プラナム寺(10世紀初頭)がある。なお,1296年に中国(元)からの使節に随行してカンボジアを訪れ,97年までアンコールに滞在した周達観が著した《真臘風土記》の中に,当時のアンコール・トムの状況が記録されている。【伊東 照司】。…

【クメール族】より

…高温多湿のため村人は水浴を好み,1日数回身体を洗う。1296年来訪した中国人周達観は,その見聞記《真臘(しんろう)風土記》に〈この地炎熱に苦しむ。毎日数次澡洗するにあらざれば則ち不可〉と述べている。…

【真臘】より

スールヤバルマン2世(在位1113‐50ころ)はアンコール・ワットを建造し,インドシナ半島のほぼ全域を版図としたジャヤバルマン7世(在位1181‐1218ころ)は,今に残るアンコール・トムを建設し,その時代は真臘の最盛期であった。その後真臘は急速に衰退へ向かったが,1296年に真臘を訪問した中国人周達観は,その見聞録を《真臘風土記》として著した。14世紀後半からタイのアユタヤ朝が真臘を攻略し,1432年にアンコール王都は陥落し,プンニーア・ヤート王は南部へ遷都した。…

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