真々部村(読み)ままべむら

日本歴史地名大系 「真々部村」の解説

真々部村
ままべむら

[現在地名]豊科町大字高家たきべ 真々部

あずさ左岸段丘上に立地する村落梓川はしばしば当村で切れ込み、当村と上・下両鳥羽とば村の巾下を押し流す。従って巾下に、流れ、流れ田、清水などの地字が分布している。巾下には江戸時代に梓川の一支流中曾根なかぞね川が流れている。巾下の古町の南から土師器破片が出土する。初見は文明八年(一四七六)下諏訪春秋両宮御造宮帳で、「真々部合籾廿弐俵此代四貫四百文 手執 小祝 与作」とある。上真々部・中村なかむら町村まちむらの三集落からなる。上真々部は現梓橋の上にあって、かつての安曇郡の入口にあたっており、「長尾前ながおまえ」といわれた所である。島々しましまから梓川左岸を下る善光寺道と長尾・一日市場ひといちば七日市場なのかいちばなどの集落を通って島内の高松しまうちのたかまつを経て松本へ行く道との交差点にあたっており、付近には梓川を渡る舟つなぎ石も残っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報