戸隠神社(読み)とがくしじんじゃ

精選版 日本国語大辞典 「戸隠神社」の意味・読み・例文・類語

とがくし‐じんじゃ【戸隠神社】

長野市戸隠にある神社。旧国幣小社。奥社・中社・宝光社の三社からなる。祭神は天手力男命(あまのたぢからおのみこと)・九頭龍神(くずりゅうのかみ)・天八意思兼命(あまのやごころおもいかねのみこと)天表春命(あまのうわはるのみこと)山岳信仰に発し、古く神仏習合して修験道の道場となり、別当寺顕光寺の繁栄は戸隠三千坊と俗称された。戸隠権現

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デジタル大辞泉 「戸隠神社」の意味・読み・例文・類語

とがくし‐じんじゃ【戸隠神社】

長野市北西部にある神社。祭神は、奥社に天手力男命あまのたぢからおのみこと・九頭竜大神、中社に天八意思兼命あめのやごころおもいかねのみこと、宝光社に天表春命あめのうわはるのみこと。奥社は嘉祥3年(850)の創建という。平安末以来、修験道の道場となり、別当の顕光寺は戸隠三千坊と称されるほど栄えた。戸隠三社。

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日本歴史地名大系 「戸隠神社」の解説

戸隠神社
とがくしじんじや

[現在地名]戸隠村戸隠

奥社・中社・宝光ほうこう社の三座からなっている。祭神は奥社に天手力雄命、中社に天意思兼命、宝光社に天表春命を祀る。奥社をもって戸隠神社の発祥とし、その鎮座を孝元天皇の五年と伝えている。「先代旧事本紀」に「高皇産霊尊児天思兼命天降信濃国、阿知祝部等祖」とみえ、また同書に「八意思兼神児表春命、信濃阿知祝部等祖」と記している。戸隠神社奥社には九頭竜神を祀る社が奥社と並んでいるが、これがここの地主神であって、戸隠神社の発祥はこの九頭竜神信仰に発したものであろうとする説が有力である。

〔成立〕

梁塵秘抄」に「四方の霊験所は、いつのはしりゐ、しなののとかくし、するかのふじのやま、はわきの大山、丹後のないあひとかや、とさのむろふと、さぬきのしとの道場とこそきけ」とあるように平安時代から修験道が行われ、日本有数の霊地として知られるに至った。弘安二年(一二七九)比叡山横川の承澄の手になった「阿娑縛抄諸寺略記」は、学問行者の修験を始めた年代を嘉祥二年(八四九)頃とする。「戸隠山顕光寺流記」(戸隠神社文書)は嘉祥三年のこととする。初め戸隠寺と称し、また顕光けんこう寺と称した。その後二〇〇余年を経て、康平元年(一〇五八)奥社から表春命を分祀し富岡ふこう院と称したが、後に放光ほうこう院また宝光院と改めた。現宝光社である。寛治元年(一〇八七)に天意思兼命を分祀したのが中院(現中社)であるとする。三社の本地は奥院の聖観音、中院の釈迦如来、宝光院の地蔵菩薩、九頭竜神の大弁才天とすることもこの頃に始まる。

〔中世〕

吾妻鏡」文治二年(一一八六)三月一二日条に「関東御知行国々内乃貢未済庄々」の注文の、信濃国分のうちに「天台山末寺顕光寺」とあるように、平安時代後期には顕光寺は比叡山延暦えんりやく寺の末寺として、戸隠神社を包含して延暦寺の荘園であった。「戸隠山顕光寺流記」の「別当職位之事」に代々の別当が記されているように、延暦寺の補任する別当と修験僧である社僧らによって神社への奉仕が行われた。同時に、同書に「其山四至境者、東限飯縄山鳴岩、南限仁和坂本郷、西限大峰二本杉、北限黒姫境宮也」とあるように、四至界が設定された。

当時、戸隠神社にいくばくの修験僧が居住したかつまびらかでないが、「戸隠山顕光寺流記」は久寿元年(一一五四)に、銅御仏器寄進者として別当寛範・権別当湛助のほかに、燈明とうみよう房・高乗こうじよう房・常義じようぎ房・常縁じようえん房・東林とうりん房・常住じようじゆ房・随光ずいこう房・遊楽ゆうらく房・祇乗ぎじよう房・縁明えんめい房・義明ぎめい房・普光ふこう房・円林えんりん房・瑠璃るり房・極楽ごくらく房・自在じざい房・禅明ぜんめい房・真楽しんらく房・禅修ぜんしゆう房・花如かじよ房・広慶こうけい房・実相じつそう房・集楽しゆうらく房の二三房を列記している。

戸隠神社
とがくしじんじや

[現在地名]山添村大字桐山

桐山きりやま大窪おおくぼ集落南方に鎮座。祭神手力男たぢからお命。旧村社。永正一一年(一五一四)の湯釜銘に「切山庄九頭大明神宮 小谷弥七願勧進」とあり、もとは九頭くず大明神と称していたようである。北野山きたのやま(現奈良市)、桐山・室津むろづ(現山添村)三ヵ村の氏神で、神宮寺徳竜とくりゆう寺があった。現在近くの観音寺で保存する大般若経はもと徳竜寺の什宝で、応永三一年(一四二四)山城国岩田西宝いわたさいほう院で開板した旨の奥書がある。この経は天和三年(一六八三)から貞享元年(一六八四)にかけて三ヵ村によって修補されており、桐山には京蔵田きようぞうだ(経蔵田か)の小字も残る。

戸隠神社
とがくしじんじや

[現在地名]猪名川町肝川

中世の多田ただ肝河きもかわ村に勧請された神社で、下肝川しもきもがわの西に南面して鎮座。旧村社。正面に瓦葺入母屋造の拝殿が建ち、幣殿に接続した覆屋内に本殿がある。本殿は一間社春日造・杉皮葺の小社殿で、大永四年(一五二四)二月一三日大工橘友吉によって上棟された(棟札)。遷宮は同年六月四日、願主は中間大夫天津右衛門、別当を勤めたのは満願まんがん(現川西市)西之坊愛俊。延宝七年(一六七九)の下肝川村検地帳(前田家文書)に「氏神九頭大明神」と記され、文禄三年(一五九四)の検地以前から除地で、上肝川村・下肝川村の氏神であった。安永七年(一七七八)の九頭大明神屋敷替并新屋敷両村立会算用帳(同文書)があり、この年現在地の向い側の古宮こみやしたから移転したと思われる。

戸隠神社
とがくしじんじや

[現在地名]奈良市須川町

まえ川の東岸にある。祭神は天手力男あめのたぢからお命。旧村社。承暦四年(一〇八〇)三月一〇日の山村姉子解(一乗院文書)に「楊生郷川村」の畠地ならびに栗林として「宮垣内」がみえ、当社にかかわるものと考えられる。現須川すがわ町字みや垣内かいとは奈良市狭川両さがわりよう町へ通ずる谷間の田地にあたる。境内の四角形石灯籠は火袋・竿が後補であるものの鎌倉末期のもの。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「戸隠神社」の意味・わかりやすい解説

戸隠神社
とがくしじんじゃ

長野県長野市戸隠に鎮座。奥社に天手力男命(あめのたぢからおのみこと)、九頭竜大神(くずりゅうおおかみ)、中社(ちゅうしゃ)に天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)、宝光(ほうこう)社に天表春命(あめのうわはるのみこと)を祀(まつ)る。例祭は8月14日(中社)、15日(奥社)、16日(宝光社)。7年ごとに式年祭がある。縁起によれば、天手力男命が「吾(われ)天に在(あり)し時抛(なげ)落せる天岩戸(あめのいわと)今科野(しなの)国に留(とどま)り山と成れり、彼(かの)山は則(すなわち)吾霊魂の残れる地なり、彼所に行きて住まん」とこの地に遷座したといわれ、孝元(こうげん)天皇5年が奥社の創祀(そうし)であるという。850年(嘉祥3)両部修験道(しゅげんどう)が開かれたと伝え、中世以来、戸隠三千坊とよばれる隆盛を極め、戸隠権現(ごんげん)とも称した。戦国時代には武田信玄(しんげん)、上杉景勝(かげかつ)の社参・造営があり、徳川幕府は朱印領1000石を寄進した。1869年(明治2)の神仏分離により現社号に改め、90年国幣小社に加列した。社宝の牙笏(げしゃく)(象牙(ぞうげ)製)と戸隠切(ぎれ)で著名な写経『紙本墨書法華経残闕(しほんぼくしょほけきょうざんけつ)』はともに国指定重要文化財。

[佐野和史]


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改訂新版 世界大百科事典 「戸隠神社」の意味・わかりやすい解説

戸隠神社 (とがくしじんじゃ)

長野市の旧戸隠村に鎮座。戸隠山山腹の奥社(奥宮)に天手力雄命,山麓にある中社に天八意思兼(あめのやごころおもいかね)命,宝光(ほうこう)社に天表春(あめのうわばる)命をまつる。奥社に並んで天岩戸守命をまつる九頭竜(くずりゆう)社があり,戸隠山の地主神といわれる。創建は850年(嘉祥3)と伝えるが,戸隠山を霊山とする山岳信仰に基づき,古くより修験の道場とされた。奥社,中社,宝光社の祭神の本地をそれぞれ聖観音,釈迦牟尼仏,将軍地蔵といい,奥社を奥院または本院,中社を中院または富岡院,宝光社を宝光院または福岡院と称し,この3社を戸隠権現,三所権現とよんだ。別当寺の顕光寺は俗に戸隠三千坊といわれ,隆盛をきわめた。1558年(永禄1)武田信玄が修理料を寄進して戦勝を祈願,94年(文禄3)には上杉景勝が社殿を造営,1612年(慶長17)徳川家康は朱印領1000石を寄せ,戸隠山法度を定めた。明治に入り,神仏分離により寺を廃し,現社号に改めた。旧国幣小社。例祭8月14日より16日。
戸隠山
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百科事典マイペディア 「戸隠神社」の意味・わかりやすい解説

戸隠神社【とがくしじんじゃ】

長野県上水内(かみみのち)郡戸隠村(現・長野市)に鎮座。旧国幣小社。戸隠山腹の奥社(祭神は天手力男(あめのたぢからお)命)を本社とし,中社(祭神は八意思兼(やごころおもいかね)命),宝光社(祭神は天表春(あめのうわばる)命)を合わせ,戸隠三社,また戸隠三所権現と称する。もと戸隠山の山岳信仰に発し,中世には修験(しゅげん)道の霊場として栄えた。例祭は奥社が8月15日,中社は8月14日,宝光社は8月16日。
→関連項目手力雄神戸隠山長野[市]火祭

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デジタル大辞泉プラス 「戸隠神社」の解説

戸隠神社

長野県長野市戸隠にある神社。奥社、中社、宝光社、九頭龍(くずりゅう)社、火之御子(ひのみこ)社の五社からなる。祭神は天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)(奥社)、天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)(中社)、天表春命(あめのうわはるのみこと)(宝光社)、九頭龍大神(九頭龍社)、天鈿女命(あめのうずめのみこと)(火之御子社)。戸隠山の山岳信仰に基づく修験道の道場から発展。古くは顕光寺と称した。明治期に神仏分離により神社となる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「戸隠神社」の意味・わかりやすい解説

戸隠神社
とがくしじんじゃ

長野県北部,長野市戸隠に鎮座する元国幣小社。戸隠権現ともいう。奥社にアメノタヂカラオノミコト,中社にアメノヤゴコロオモイカネノミコト,宝光社にアメノウワハルノミコト,九頭龍社にクズリュウノオオカミ,火之御子社にアメノウズメノミコトをまつる。嘉祥3 (850) 年の創建と伝えられる。中世には戸隠三千坊と称し,修験道の大道場として栄えた。例祭8月 14~16日。

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