相生西町(読み)あいおいにしちよう

日本歴史地名大系 「相生西町」の解説

相生西町
あいおいにしちよう

[現在地名]都島区かた町一丁目

大坂三郷北組に属し、北を鯰江なまずえ川、南を寝屋川に挟まれた東西に長い町で、東は相生東町。大坂城青屋あおや口東方で合流した平野川と猫間ねこま川は、当町と相生東町境界付近で寝屋川に注ぎ、寝屋川は当町西端で鯰江川と合流。町西端寝屋川に京街道起点であるきよう橋が架かり、相生東町を経て野田のだ橋に至る。また京橋北詰から鯰江川に備前島びぜんじま橋が架かり備前島町を経て網島あみじま町に通ずる。当町は宝永五年(一七〇八)までは京橋片原西きようばしかたはらにし町と称し、東隣の京橋片原東町と一括して片原町あるいは片町といわれていた(→相生東町。明暦元年(一六五五)の大坂三郷町絵図には「片原町西」とある。元禄一三年(一七〇〇)の三郷水帳寄帳によれば屋敷数三二・役数四〇役で、うち年寄分・会所分各一役が無役。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報