直鳥城跡(読み)なおとりじようあと

日本歴史地名大系 「直鳥城跡」の解説

直鳥城跡
なおとりじようあと

[現在地名]千代田町大字直鳥字上直鳥

城原じようばる川の西岸、直鳥橋より西方二〇〇メートル余のクリーク中にある中島なかしま付近を古来城屋敷しろやしきとよぶ。

直鳥城の始祖は犬塚家貞の四男家久(崎村さきむら城主家直の弟)である。築城は永正年間(一五〇四―二一)と推測される。家久の子家清は享禄三年(一五三〇)大内義隆勢が勢福寺せいふくじ(現神埼町)の少弐資元父子を攻撃した際、少弐方に荷担している。家清の母は竜造寺家員の娘で、妻も竜造寺家純の娘であり、直鳥城は竜造寺家と深い関係にあった。永禄元年(一五五八)一〇月竜造寺隆信は勢福寺城の江上武種を攻撃途中突如として蓮池はすのいけ(現佐賀市)の小田氏を攻略し、さらに蒲田江かまたえ(現佐賀市)を攻めたので、同城主犬塚尚重は直鳥城の家清ら一族も加えて筑後逃亡

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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