千代田町(読み)ちよだまち

日本歴史地名大系 「千代田町」の解説

千代田町
ちよだまち

面積:二一・八〇平方キロ

邑楽郡の西南部に位置し、東は館林市・明和めいわ村、西は大泉おおいずみ町、北は邑楽町に接し、南には利根川が流れ、対岸は埼玉県行田ぎようだ市・大里おおさと妻沼めぬま町である。西から県道足利―千代田線、北西から赤岩―足利線が赤岩あかいわに通ずる。北東から足利―邑楽―行田線が町に入り、二つに分岐する。一つは赤岩を通り、そこから東西に走り、上中森―川俣停車場線に通ずる。他は一部館林市を通過するバイパスをなし、行田市に通ずる武蔵大橋に至る。町の中央部を東西に古戸―館林線が走る。標高は平均二五メートルで、やや西高東低な平坦部に位置し、旧利根川流路に発達した長大な自然堤防に沿った地形である。宝亀一〇年(七七九)上野守藤原小黒麻呂は巡検の勅使として上野国佐貫さぬき庄に入り、中島なかじま(舞木の字中島)に滞在し、郷士の娘に産ませたのが赤岩氏の祖資綱である。

千代田町
ちよだちよう

面積:一七一・九一平方キロ

山県郡の東端に位置し、北は大朝おおあさ町、東は高田郡美土里みどり八千代やちよ両町、南は広島市安佐北あさきた区、西は豊平とよひら町に接する。北東の鷹巣たかのす(七〇〇・四メートル)大塩おおしお(七〇二メートル)、南東の堂床どうとこ(七三九・八メートル)、南の備前坊びぜんぼう(七八九・四メートル)、南西の海見かいけん(八七〇メートル)、北西の火野ひの(七〇五・四メートル)など七〇〇―八〇〇メートルの山々に囲まれるが、その中央部に八重やえ盆地とよばれる肥沃な山間沖積盆地がある。大朝町域より曲折しつつほぼ南流してきた可愛えの川が、盆地東方で豊平町より東南流してきた志路原しじわら川、北東流してきたかんむり川を合わせて東へ向きを変え、八千代町に流れ出る。

千代田町
ちよだちよう

面積:二四・六三平方キロ

神埼郡南部の農村地帯。東は三養基みやき郡三根町、西は佐賀市、南は筑後川を挟んで福岡県三潴みづま城島じようじま町、北は神埼町に接する。

明治二二年(一八八九)の町村制施行により郡内に成立した町村のうち城田しろた村・千歳ちとせ村・境野さかいの村と蓮池はすいけ(昭和一〇年町制施行)の一部(大字小鹿おじか柴尾しばお用作ようさく小森田こもりだ)が昭和三〇年(一九五五)合併千代田村が成立。

千代田町
ちよだまち

1992年1月1日:新治郡千代田村が町制施行
【千代田村】茨城県:新治郡

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「千代田町」の意味・わかりやすい解説

千代田〔町〕
ちよだ

群馬県南東部,利根川の左岸にある町。 1955年永楽,富永,長柄の3村が合体して千代田村となり,82年町制。中心集落の赤岩は,江戸時代利根川十六渡津の1つとしてにぎわい,現在も名残りの渡し船がある。米作,植木栽培が行われる。宝林寺梵鐘有名。面積 21.73km2人口 1万861(2020)。

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