盛泉寺(読み)じようせんじ

日本歴史地名大系 「盛泉寺」の解説

盛泉寺
じようせんじ

[現在地名]守口市浜町一丁目

難宗なんしゆう寺の北側、旧京街道に西面する。真宗大谷派、本尊阿弥陀如来。当地では御坊または東御坊・東御堂と通称する。慶長一一年(一六〇六)東本願寺初代教如の開創になるが(寺蔵文書)、開創以前の寺史は難宗寺と一体であった。当寺開創は本願寺の東西分派と関係する。すなわち石山合戦終結に際し、教如は父顕如・母如春尼と考えを異にしたことから疎遠になり、本願寺を弟准如が継承した。そのため教如は慶長七年東本願寺を別立するが、難宗寺は准如方に属したため、教如方に味方する門徒の意向によって当寺が建立された。

盛泉寺
じようせんじ

[現在地名]波田町上波田

上波田かみはたの東にあり、曹洞宗で山号は天陽山。本尊は釈迦如来寺内の六地蔵は石造陰刻で、光背に寛永一二年(一六三五)六月の銘があり、当地方の石造地蔵尊では最古のものである。

享保九年(一七二四)の「信府統記」には「天陽山盛泉寺 瑞松寺末寺ナリ、島立組上波多村ニアリ。当寺ハ天正二十二年癸丑歴開基ナリ」とある。

盛泉寺
せいせんじ

[現在地名]蟹江町蟹江本町 川西

市場山と号し、真宗大谷派。本尊は阿弥陀如来。寺書上によれば、明応六年(一四九七)本願寺八世蓮如第一九子藤照院釈蓮芸が開基したという。慶長年中(一五九六―一六一五)の教如寿像に「慶長九八月六日尾州海東郡富吉庄下市場盛泉寺常物也」(蟹江町史)とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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