日本大百科全書(ニッポニカ) 「百済寺(奈良県)」の意味・わかりやすい解説
百済寺(奈良県)
くだらでら
奈良県北葛城(きたかつらぎ)郡広陵(こうりょう)町百済にある寺。高野山(こうやさん)真言宗に属する。本尊十一面観音。617年(推古天皇25)聖徳太子は熊凝(くまごり)村に熊凝精舎(しょうじゃ)を建て、田村皇子(後の舒明(じょめい)天皇)に将来大寺にするよう希望し託した。639年(舒明天皇11)勅命により百済川畔に移し、百済大寺と称し、九重塔を建て、封300戸、良田20丁を施入した。673年(天武天皇2)高市(たかいち)郡に移し、高市大寺、大官(だいかん)大寺と称し、さらに平城遷都(710)とともに奈良へ移され、大安寺(だいあんじ)(奈良市大安寺町)となった。一方、百済の地には823年(弘仁14)空海が三重塔と6坊を建て、百済寺と称した。鎌倉時代に源頼朝(よりとも)、熊谷直実(くまがいなおざね)に修理せしめたが、数度の火災で衰えた。三重塔は国の重要文化財。本堂には平安後期の聖観音、十一面観音像などを安置する。4月15日に練供養(ねりくよう)を行う。
[田村晃祐]
[参照項目] |