田助浦(読み)たすけうら

日本歴史地名大系 「田助浦」の解説

田助浦
たすけうら

[現在地名]平戸市田助町

近世よりみえる津湊。大久保おおくぼのうちで、平戸瀬戸南東に開く入江をもち、潮待ち湊として機能した。平戸村のうちで、正保国絵図に「たすけ浦」と記される。明暦二年(一六五六)の田方帳抜書では平戸村内に「曲田助免」とみえ、また平戸村浦分として田助浦とあり、タスケの訓を付す。元禄国絵図にも田助浦とある。平戸藩浦方支配のために番所が設置された。寛永四年(一六二七)田助浦で城下宮之町組が捕鯨を行っている(西海鯨鯢記)。一六三六年二月、平戸オランダ商館の商務員カロンは江戸への贈物を用意し、旅行の準備を整えて、平戸松浦氏の荷船一隻を得て田助に進んだが、逆風のため投錨している(平戸オランダ商館の日記)。一六四五年(正保二年)江戸に向かう長崎オランダ商館一行は平戸商館前で夜を過ごし、翌正午に田助湾に進んでいるが、そこでキリシタンを乗せた三隻の唐船が大早船に監視され、長崎に向けて出航するのを見ている(長崎オランダ商館の日記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報