デジタル大辞泉 「一行」の意味・読み・例文・類語
いっ‐こう〔‐カウ〕【一行】
2 ひとつらなり。1列。「
3 一つの行い。「
4 書面一通。特に許可・借用などの証拠となる文書一通。いちぎょう。
「各五千石の―を頂戴せしめ」〈太閤記・六〉
[類語]連れ・道連れ・同伴者・同勢・同行・団体・集団・一団・グループ・サークル・パーティー・チーム・クラブ・サロン
いち‐ぎょう〔‐ギヤウ〕【一行】
2 仏教の一つの
3 ⇒いっこう(一行)4
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
中国、唐代の密教の高僧。天文暦学の科学者。魏州(ぎしゅう)(河北省)昌楽(しょうらく)の人。幼時より聡明(そうめい)で、長じて経史を学び、とくに天文暦算を究めた。出家して嵩山(すうざん)の普寂(ふじゃく)禅師(651―739)に禅要を学び、また荊州(けいしゅう)(湖北省)当陽山の悟真に律蔵を学ぶ。ついで天台山に登り、天台教学の秘奥(ひおう)を修めた。のち717年(開元5)召されて長安に赴き、深く玄宗(げんそう)の帰依(きえ)を受けた。そのころ716年に善無畏(ぜんむい)がインドから大陸を経て来唐し、ついで720年に金剛智(こんごうち)が南海を渡って来唐し、密教経典の伝訳の大事業をなすと、一行はとくに善無畏の訳場に列して『大日経』の訳出を助け、さらに師の指南を受けながら『大日経疏(だいにちきょうしょ)』20巻の大著を完成した。またこの間の721年、勅によって新暦を撰(せん)し、ついで『大衍暦(だいえんれき)』52巻を撰した。かくて名声はいよいよ高まり、一代の英才と仰がれたが、惜しくも45歳の若さで寂(じゃく)した。諡号(しごう)を大慧禅師(だいえぜんし)といい、玄宗自ら塔録(とうろく)を撰した。
一行は密教史上偉大な業績を残した人であるが、現代の中国ではむしろ天文暦法の科学者としての評価が高い。
[勝又俊教 2017年1月19日]
中国の唐代の密教僧,天文学者。〈いっこう〉とも読む。本名は張遂,魏州(河南省)昌楽の出身。経史,暦象陰陽五行の学に精通するとともに,天台,禅をも学び,さらに善無畏より密教を伝授された。721年(開元9),李淳風の麟徳暦(儀鳳暦)による日食予報にたびたび誤報があったことから,玄宗は一行に改暦を命じた。彼はまず梁令瓚と黄道游儀を作って太陽,月,5惑星の運行および恒星の位置を測定し,また水力で動く天球儀(水運渾象)を製作した。723年からは南宮説(なんぐうえつ)とともに大規模な子午線測定を実施して1度が351里80歩(唐尺。123.7km)にあたるという結果を得た。724年に編暦作業を開始して,易の形而上学と結びつけた大衍暦を完成させた。この暦法によって計算した暦は彼の死後の729年から全国に頒行され,735年(天平7)吉備真備によって日本にも伝えられた。大衍暦には不等間隔二次差近似補間公式が使用され,食計算には〈九服蝕差〉すなわち食現象の地域的時間差が導入された。
執筆者:橋本 敬造
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…経史,暦象陰陽五行の学に精通するとともに,天台,禅をも学び,さらに善無畏より密教を伝授された。721年(開元9),李淳風の麟徳暦(儀鳳暦)による日食予報にたびたび誤報があったことから,玄宗は一行に改暦を命じた。彼はまず梁令瓚と黄道游儀を作って太陽,月,5惑星の運行および恒星の位置を測定し,また水力で動く天球儀(水運渾象)を製作した。…
…中国,唐代の暦法の一つで,僧の一行(いちぎよう)が玄宗の命によって編んだ。太陰太陽暦。…
※「一行」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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