瀬上宿(読み)せのうえしゆく

日本歴史地名大系 「瀬上宿」の解説

瀬上宿
せのうえしゆく

[現在地名]福島市瀬上町

江戸時代の瀬上村の西端部を南北に縦断する奥州道中の宿。福島宿と桑折こおり宿(現桑折町)の中間に位置する間の宿であった。摺上すりかみ川から堰上げた瀬戸せと川を挟んで南のもと町北のあら町からなり,南端北端枡形を構える。本町・荒町の境から宮代みやしろ村・下飯坂しもいいざか村から茂庭もにわ村を経て西方米沢へ至る通称米沢道,阿武隈川を渡り箱崎はこざき(現伊達町)上保原かみほばら(現保原町)から石田いしだ(現霊山町)を経て東方の相馬へ至る道を分岐する。「信達一統志」には「古は今の駅場より東に海道有けるにや,桜町深町など云字あり」とあり,かつては瀬上村東部を街道が通り宿はさくら町・ふか町にあったとされる。元文三年(一七三八)の瀬上村明細帳(阿部家文書)によれば,瀬上村にかかる街道は長さ八六七間・道幅三間,うち当宿にかかる長さは四九八間であった。瀬上村による道普請は当宿にかかる間数のみで,残りは鎌田かまた村が受持った。瀬上村の用水である瀬戸川には長さ一丈一尺・横幅三間の「町内往還橋」,ししろ橋が架かる。架替え時の用材は御林から下されたが大工賃・鉄物は村役で負担したようである。

延享三年(一七四六)の瀬上村明細帳(阿部家文書)では南の福島宿へ二里八町,北の桑折宿へ一里一二町で,当町内は七町ほどとする。検断は二人,検断方に詰める馬指は二人であった。明和六年(一七六九)の瀬上村明細帳(内池家文書)には,「往還役勤方之儀当宿ハ一宿定御継立ニ付他宿ヘハ助郷不仕候」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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