精選版 日本国語大辞典 「相馬」の意味・読み・例文・類語
そうま サウま【相馬】
そう‐ば サウ‥【相馬】
そう‐ま サウ‥【相馬】
そうま サウま【相馬】
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福島県北東部,浜通り北部に位置する市。1954年市制。人口3万7817(2010)。市域は東西に長く,東は太平洋に面し,東部は標高200m以下の丘陵,台地,沖積低地および松川浦などからなる。西部は阿武隈高地の北部に属し,西端には標高825mの霊山(りようぜん)がある。宇多川をはじめとする河川が東流し,その流域に水田が開け,集落が点在する。弥生時代,古墳時代の遺跡が多く,古くから開発されていたものと思われる。中世以後,相馬氏の領有するところとなり,1611年(慶長16)相馬利胤(としたね)が中村に馬陵城を築き,城下に家臣を住まわせて以来,相馬氏6万石(相馬中村藩)の城下町として発達した。明治維新後,町勢は一時衰えたが,現在は常磐線,国道4号,113号,115号線が通じ,相馬地方北部の中心地となっている。松川浦でノリやカキが養殖され,潮干狩りでにぎわう。その北部の原釜港は江戸時代の東廻海運の寄航地であったが,1961年から相馬港として築港され,その背後の新沼には工業団地が造成され,企業誘致が進められている。勇壮な相馬野馬追や《相馬盆踊歌》《新相馬節》などの民謡が知られる。2011年3月の東日本大震災では,死者行方不明459人,全壊住宅1120戸にのぼった。
執筆者:大澤 貞一郎
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青森県南西部、中津軽郡にあった旧村名(相馬村(むら))。現在は弘前(ひろさき)市の南西部を占める地域。2006年(平成18)弘前市に合併。南部は白神(しらかみ)山地、北部は岩木川右岸にあたる。南北朝以来の歴史的伝説が多く、紙漉沢(かみすきさわ)は南朝の長慶天皇(ちょうけいてんのう)の終焉(しゅうえん)の地といわれる。秋田県境の長慶森にはかつて金山があったといい、西部の舟打鉱山は1962年(昭和37)まで鉛や亜鉛を採掘した。山地は国有林で占められ、狭い谷間に集落や耕地が分布している。水田が高所まで開かれ、傾斜地はリンゴ園となっている。
[横山 弘]
『『相馬村誌』(1982・相馬村)』
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…陸奥国宇多郡の城下町で,現在は福島県相馬市(1954市制)の中心地区をなす。《和名抄》に宇多郡仲村郷があり,801年(延暦20)坂上田村麻呂が蝦夷出兵のとき,西館(現在の中村城跡の西部一帯)に菅原啓実が館を構えていたと伝えられる。…
※「相馬」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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