澄心寺(読み)ちゆうしんじ

日本歴史地名大系 「澄心寺」の解説

澄心寺
ちゆうしんじ

[現在地名]箕輪町大字三日町

大崎おおさき山麓にあり、西方はるか下方に集落を見下ろしている。曹洞宗。勝間竜勝寺(現高遠町)の末山。本尊釈迦如来

寺の縁起によると、開創正治元年(一一九九)雪江和尚、改宗創立文明三年(一四七一)開山、学叟楚文開基という。延享元年(一七四四)成立の「伊那郡神社仏閣記」の「澄心寺末 長松寺」の条に「法燈国師之弟子仏眼ト云人此処ヘ来リ、古庵ヲ取立長秀寺ト号ス、其後法燈国師ヲ(招カ)請シ開基トス、翌歳三日町山ヲ見立、澄心寺建立シテ引移リ給フ、後ニ長松寺ト号ス」とある。

澄心寺
ちようしんじ

[現在地名]西宮市上甲子園二丁目

高野山真言宗の寺院。武庫山と号し、本尊薬師如来。もと京都東福寺末の禅宗寺院で、現寺地北東方、甲子園口こうしえんぐち二丁目の弁天べんてん公園付近にあったといわれ、同公園一帯には堂ノ壇・薬師垣内・堂ノ前など寺院関係の小字が残っていた(西宮市史)。開山は東福寺の普円国師潜渓処謙。創建の由来は不明だが、武庫むこ川下流右岸を庄域とし、暦応二年(一三三九)近衛家から東福寺海蔵かいぞう院に寄進された弘井ひろい庄の存在と関係するものと考えられる(同書)。創建時期は、本尊薬師如来の奉安供養が行われた応安元年(一三六八)一〇月一九日(「夢巌祖応禅師語録」京都大学図書館蔵)を少しさかのぼるものとみられる。

澄心寺
ちようしんじ

[現在地名]深川市太子町

宝蓮山と号し、真宗大谷派。本尊は阿弥陀如来。明治二八年(一八九五)円浄澄信が屯田歩兵第一大隊本部の許可を得て戸長役場の向い側なか町九丁目に説教所を開設、秩父別ちつぷべつ(現秩父別町)一已いちやん納内おさむないの各兵村に教場を置き布教を行った。澄心寺を公称したのは同三四年で、大正七年(一九一八)に現在地に移転した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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