漢織・呉織(読み)あやはとりくれはとり

日本大百科全書(ニッポニカ) 「漢織・呉織」の意味・わかりやすい解説

漢織・呉織
あやはとりくれはとり

古代に中国から渡来した縫工女(きぬぬいめ)。「はとり」は機織(はたおり)の意。『日本書紀』によれば応神(おうじん)天皇37年に、呉(ご)(中国、江南地方)王が縫工女兄媛(えひめ)、弟媛(おとひめ)、呉織、穴織(あなはとり)を献じたという。雄略(ゆうりゃく)天皇14年にも呉から漢織、呉織と衣縫(きぬぬい)の兄媛、弟媛が献じられた。兄媛は大三輪(おおみわ)神に奉り、弟媛は漢衣縫部(あやのきぬぬいべ)とし、漢織と呉織は飛鳥(あすか)衣織部と伊勢(いせ)衣織部の祖先であるとみえる。漢織・呉織は、ともに呉からきた綾織(あやおり)の技術者をさしている。7月7日の星祭を七夕(たなばた)とよび、織女星を祀(まつ)ることによって女性の手芸が上達するという行事と信仰が古くからある。七夕は棚機(たなばた)で呉の進んだ織機をさし、七夕祭は漢織・呉織の渡来と関係があろう。

[志田諄一]

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旺文社日本史事典 三訂版 「漢織・呉織」の解説

漢織・呉織
あやはとり・くれはとり

古代伝承中の渡来機織技術者
記紀によれば,中国の呉から機織の技術をもって応神・雄略天皇治世に渡来,衣縫部 (きぬぬいべ) の祖となったという。織物技術の向上に貢献した。

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