準戦体制(読み)じゅんせんたいせい

改訂新版 世界大百科事典 「準戦体制」の意味・わかりやすい解説

準戦体制 (じゅんせんたいせい)

日中戦争直前期から開戦初期にかけての戦争準備体制または戦時に準ずる体制を指す用語。広田弘毅内閣の馬場鍈一蔵相が,1936年10月関西財界有力者との懇談会の席上,政府の増税案を説明した際,〈現下情勢財政について準戦時経済体制の採用を必要ならしめており,今回の税制改革案はこれらの事情を考慮して立案した〉と語ったことから時局用語として用いられるようになった。その後37年7月7日に日中戦争が勃発し,戦争が華北の一部にかぎられていた初期には準戦時体制という用語が用いられたこともあったが,9月2日の政府による〈北支事変〉の〈支那事変〉への呼称変更,9月4~8日の第72臨時議会での臨時軍事費予算と戦時統制立法の可決などをへて,戦争の全面化が明白になるにつれ,準戦時体制は戦時体制へ移行したと考えられるようになった。なお一部では,1931年9月18日の満州事変勃発から日中戦争全面化の時期までの国内体制を指す用語として用いられた場合もあった。準戦時体制は,1932年5月の五・一五事件後の〈非常時〉体制と戦時体制をつなぐものであるが,そのおもな特徴は次のようであった。(1)軍部の発言力の強化 36年2月の二・二六事件契機に一段と発言権を強化した軍部は,広田内閣の組閣人事に公然と介入し,ついで〈粛軍〉によって皇道派を陸軍内部から追放するとともに,軍部大臣現役武官制を復活させ(1936年5月18日),内閣にたいする生殺与奪権限を握った。(2)大軍拡計画と軍拡予算の成立 軍部は〈帝国国防方針〉と〈用兵綱領〉の第3次改訂を行い(1936年6月8日裁可),アメリカとソ連を第一仮想敵国,中国とイギリスを第二仮想敵国と定め,戦時所用兵力を陸軍50個師団,航空142中隊,海軍戦艦・航空母艦各12隻,巡洋艦28隻,航空65隊とし,計画のかなりの部分を41年度または42年度までに達成するという大軍拡計画を決定した。そのため1937年度予算案は,軍事費が3億5000万円増の14億1000万円(前年度比1.33倍),歳出が7億2700万円増の30億3900万円(同1.31倍)となり,歳出に占める軍事費の割合は46.4%となった。その財源公債増発と税制改革による大増税によって賄われ,岡田啓介内閣の高橋是清蔵相が身命を賭して死守しようとした公債漸減政策は馬場蔵相によって放棄され,軍需インフレ傾向と大増税による国民からの収奪が強まった。(3)治安対策とイデオロギー対策におけるファッショ化の進展 思想犯保護観察法(1936年5月29日公布)と不穏文書臨時取締法(同年6月15日公布)が制定されたが,これらの法律は罪刑法定主義の原則を逸脱し,治安当局の恣意によって弾圧が強化されるというファッショ的な性格を有していた。また文部省編《国体の本義》(1937年5月31日刊)は,国民に天皇への〈絶対随順〉を説き,日本主義国体論以外のすべての思想は〈国体明徴〉と矛盾しない範囲においてのみ〈摂取醇化〉が許されることになり,国民思想の画一化が一段と強化された。(4)積極的外交政策の展開 華北分離工作の推進,5相会議決定〈国策の基準〉(1936年8月7日)による国策としての南進政策の確定,日独防共協定調印(1936年11月25日)による日独ファッショ枢軸の形成などの積極政策が展開され,国内の準戦時体制を強化する役割を果たした。
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