深沼村(読み)ふかぬまむら

日本歴史地名大系 「深沼村」の解説

深沼村
ふかぬまむら

[現在地名]高畠町深沼

竹森たけのもり村の西、泥炭湿地大谷地おおやちの南部にあり、屋代やしろ川が流れ、二井宿にいじゆく街道が通る。地名は大谷地に立地することから生じたものであろう。伊達家の重臣鹿俣宗件は、天文三年(一五三四)二月二一日「ふかぬまのうきやうさいけ」を永代にわたって佐藤豊後に安堵した(「鹿俣宗件安堵状」東北大学附属図書館所蔵湯目文書)。同二二年の晴宗公采地下賜録では湯目丹波守と同式部が連名で「や代ふかぬま、大さい河内分」、堀内蔵人が「や代きたかた、はら田源三ふん」の「ふかぬま一けん」を与えられている。

近世初期の邑鑑に村名がみえ、高一千四五一石余、免三ツ九分、家数六四(うち役家一〇、肝煎・小走二)・人数二三四。蒲生氏高目録帳では南・北の二村に分けて高が記されており、南深沼村八八〇石余・北深沼村五七〇石余、村柄は南が中、北は下。

深沼村
ふかぬまむら

[現在地名]古川市深沼

遠田とおだ郡に属し、江合えあい川と鳴瀬なるせ川に挟まれた低平な水田地帯に位置し、谷地や沼沢地の一角。北はつるそね村、南は志田郡楡木たまのき村、東は桑針くわばり村、西は志田郡大幡おおはた村と接する。正保郷帳に田八貫五六文・畑四六七文とあり、ほかに同所新田二七貫二四七文がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報