淡路国府(読み)あわじこくふ

日本歴史地名大系 「淡路国府」の解説

淡路国府
あわじこくふ

和名抄」東急本国郡部などでは、国府は三原郡にあるとする。現三原町のほぼ中央部西寄り、市市いちいちから市十一いちじゆういつしよ市三条いちさんじようにかけての地域に比定する説が有力である。南西国衙こくが地名があり、北方榎列大榎列えなみおえなみに府中八幡、市十一ヶ所に総社十一明神神社があることなどによる。「常磐草」は奈良時代に淳仁天皇が配流された折、淡路国守佐伯宿禰助の監視下におかれた一院とは、総社の近傍にあった野辺のべ宮であろうと推測している。天慶三年(九四〇)二月に、藤原純友が淡路国府を襲ったことが「貞信公記」同月五日条にみえ、「淡路解文来、賊徒襲来、奪取兵器等」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報