淀姫神社(読み)よどひめじんじや

日本歴史地名大系 「淀姫神社」の解説

淀姫神社
よどひめじんじや

[現在地名]伊万里市大川町大川野字淀姫

大川野おおかわの盆地中央部の丘陵南端にあり、老杉や椎の古木に囲まれた社域を持つ。与止日女命・建御名方神を主神として菅原道真も祀り、昔は河上三社大明神といったが、明治五年(一八七二)改称。いまも河上社の額束のある鳥居が建っている。旧郷社。

神社由緒記によると、欽明天皇二五年に創立、長久二年(一〇四一)まゆ山の獅子退治の時、神助を得たという。文明七年(一四七五)領主源治が社殿再興

淀姫神社
よどひめじんじや

[現在地名]武雄市朝日町中野字川上

繁昌はんじよう川のほとりにある。祭神神功皇后の妹淀姫と伝える。旧村社。

創祀年代は不明であるが、昭和三九年(一九六四)改築のため社殿を解体したところ棟木に「天明六年三月吉祥日、司宮山妙福寺番満寿院代」と墨書されていた。天明六年(一七八六)が初建か再建かは不明であるが、神仏混淆であったことがわかる。繁昌川のよどみの淵にあることから、氾濫をしずめるために祀られたものではないかと思われる。

淀姫神社
よどひめじんじや

[現在地名]松浦市志佐町 浦免

うら免の北部鎮座。旧郷社。祭神は景行天皇・淀姫命・豊玉姫命で、淀姫は神功皇后の妹で三韓出兵に随行したという。欽明天皇二四年の創建で、翌年肥前佐賀郡川上かわかみ(現佐賀県大和町)に分霊を移したと伝える。中世には神領一町歩で、江戸時代には八石であったとされる(志佐物語)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の淀姫神社の言及

【大和[町]】より

…山麓を九州横断自動車道が通り,佐賀大和インターチェンジがある。川上川の渓谷は景勝川上峡として知られ,河畔にある河上神社(淀姫神社)は式内社与止日女(よどひめ)神社に比定され,肥前国一宮として崇敬された。その西にある実相院は,中世には河上神社の社務をつかさどった。…

※「淀姫神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

土砂災害

大雨や地震が誘因となって起こる土石流・地滑り・がけ崩れや、火山の噴火に伴って発生する溶岩流・火砕流・火山泥流などによって、人の生命や財産が脅かされる災害。...

土砂災害の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android