浦町(読み)うらまち

日本歴史地名大系 「浦町」の解説

浦町
うらまち

[現在地名]六郷町六郷 荒町・小安門

羽州街道の南にある裏通りの町で、裏町とも書く。

宝永七年(一七一〇)六郷本館村より願書(六郷町郷土志重要資料)に「御伝馬四日半、御賄御免、市両月ニ三斎、見せ賃弐拾〆文程」とある。その後駅場の負担に耐えきれない農民が増加し、寛保二年(一七四二)駅場の改革に際し、浦町は本道ほんどう町と同様に伝馬役を免除され、年貢地となった。

浦町
うらまち

[現在地名]函館市住吉町すみよしちよう

明治六年(一八七三)の町名町域再整理の際に、尻沢辺しりさわべ町を細かく区画割してできた町の一つで(「事業報告」第一編)、尻沢辺町集落が形成される浜沿いの道の一筋裏手(西側)を走る道沿い一帯をいった(明治六年函館旧市街図など)

浦町
うらまち

[現在地名]七戸町 七戸

通称南浦なんぽの一部。七戸村の町方で、その中央部に位置し、南北に延びる奥州街道沿いの西へ続く。藩政期末の北奥路程記(岩手県盛岡市中央公民館蔵)絵図でみると北はほん町、南はみなみ町、東はよこ町に接する。

浦町
うらまち

[現在地名]諫早市八坂町やさかまち

諫早市中南部かみ町の東に位置する。裏町ともみえる。下町別当の管轄下で、天保一〇年(一八三九)以前の諫早旧城下図(「諫早市史」所載)では浦町とあり、西に上町、東に西楽さいらく寺、南に這松下はいまつしたが記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報