津島湊船会所跡(読み)つしまみなとふなかいしよあと

日本歴史地名大系 「津島湊船会所跡」の解説

津島湊船会所跡
つしまみなとふなかいしよあと

[現在地名]津島市片町

文禄二年(一五九三)一二月四日、徳永寿昌が津島湊に船頭四四人を申付け持高諸役を免許したときに始まる(徇行記)。寛永一一年(一六三四)将軍家光の上洛契機として佐屋さや宿(現海部郡佐屋町)が置かれたため、津島廻りの川下りで伊勢桑名へ行く者は減少し、寛文六年(一六六六)に津島の船高札は停止された。この時の船賃は乗合一人一五文、馬一匹五〇文、乗掛荷物一駄三〇文、乗物一挺六〇文であった(「由緒覚」浅井寛氏蔵)。元禄六年(一六九三)津島から桑名への渡船は、以後、天王参詣の徒歩旅行者のみを乗船させるようにと船奉行の裁許があった(徇行記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報