波佐見(読み)はさみ

日本歴史地名大系 「波佐見」の解説

波佐見
はさみ

中世よりみえ彼杵そのき庄内地名。正安三年(一三〇一)六月一九日の鎮西探題御教書案(青方文書)に波佐見左衛門太郎(親平)とあり、五島狩俣かりまた(現若松町)をめぐって青方氏と相論になっているが、当地にかかわる人物と想定される。元応二年(一三二〇)一一月九日の鎮西探題裁許状案(同文書)にみえる波佐美左衛門太郎入道は青方重高の甥親平(真仏)である。嘉暦四年(一三二九)七月三日の東福寺領肥前国彼杵庄文書目録(正慶乱離志裏文書)にみえる波佐見彦次郎・波佐見次郎忠平・波佐見彦四郎・波佐見一童丸は当地を拠点とする勢力と考えられ、平を通字としていたらしい。観応二年(一三五一)波佐見俊平は筑前国月隈つきくま(現福岡市博多区)での合戦に足利直冬方の今川直貞の軍勢に参加したとみられ、その勲功の賞として彼杵庄内の田地五町(伊関彦四郎跡)などを給付されたが、伊関氏は直冬方について戦ったと主張し、その実否の確認が命じられている(同年一〇月日「深堀政縄軍忠状」・年未詳一一月二一日「貞宗忠孝連署奉書」深堀文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「波佐見」の意味・わかりやすい解説

波佐見[町] (はさみ)

長崎県東部,東彼杵(ひがしそのぎ)郡の町。人口1万5227(2010)。虚空蔵山(609m),神六山(447m),弘法岳(387m)などの山地に囲まれて盆地状をなし,中央を川棚川が南流する。一帯は近世以来の窯業地で,波佐見焼は1665年(寛文5)に大村藩主大村純長が磁器製品を特産品とし,皿山役所を置いて以降,染付と青磁を中心に生産された。現在も家庭用和食器を主に,近代的設備による量産が行われている。長崎県窯業試験場(現,長崎県窯業技術センター)があり,毎年4月下旬から5月上旬には陶器祭が行われる。農業は米作を中心に,ミカン,茶,タバコの栽培,畜産が行われる。南西部,川棚川沿いの丘陵地に波佐見温泉(純重曹泉,23~25℃)がある。西九州自動車道のインターチェンジがある。
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