波佐見焼古窯跡群(読み)はさみやきこようせきぐん

日本歴史地名大系 「波佐見焼古窯跡群」の解説

波佐見焼古窯跡群
はさみやきこようせきぐん

[現在地名]波佐見町村木郷・稗木場郷・中尾郷・永尾郷・三股郷など

江戸時代の陶磁器窯の跡。大村領の波佐見村内で焼かれ、波佐見焼と称された。大村藩初代藩主大村喜前が一六世紀末に朝鮮出兵から帰郷した際同伴した朝鮮人陶工により開窯したとされるが、下稗木場しもひえこば窯跡の焼成品からは一六世紀後半にさかのぼる可能性がある。初期の製品は一五世紀から朝鮮半島で盛んに作られた施釉陶器を模したもので、唐津系陶器に含まれる。この期の窯跡ははたはら古皿屋ふるさらや山似田やまにたなどの村木むらぎ地区に集中する。慶長一〇年(一六〇五)頃、村内の三股みつまた陶石を発見して磁器生産に入り、正保元年(一六四四)しら岳で陶石を産したことから中尾なかおでも始まり、寛文三年(一六六三、同六年とも)には同じく永尾ながお、同五年または七年には燃料に恵まれた稗木場(現皿山郷)でも皿山が立ち始めた。この四皿山が波佐見焼の中心となるが、ほかに創業期から正徳四年(一七一四)まで四八ヵ年の木場山こばやま、同一八ヵ年の百貫松ひやつかんまつ山などがあり、永田山などとともに窯跡が残る。大村藩は寛文五年三股に皿山役所を設置、押役を配してその下に三股皿山・中尾皿山・永尾皿山・稗木場皿山にそれぞれ取締役人を置いた。のち押役は惣皿山奉行と改め、宝永五年(一七〇八)から元締役の支配となり、さらに元締付代官兼帯に変わるが、資金の貸与、原料の支給、山林の下付など保護育成にあたるとともに、焼成品の販売や絵薬の斡旋を行った(「皿山始付」「皿山旧記」「肥前陶磁史」など)。宝暦一一年(一七六一)波佐見村に新規に役宅を建て、押役として馬廻りを一人ずつ年番させたという(大村家覚書)。役所跡は永尾から三股への道の右手にあり、石垣が残る。

製品は磁器染付の日用食器が主であるが、一七世紀後半から一八世紀前半には青磁も量産された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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