河野広躰(読み)こうのひろみ

改訂新版 世界大百科事典 「河野広躰」の意味・わかりやすい解説

河野広躰 (こうのひろみ)
生没年:1864-1941(元治1-昭和16)

福島事件加波山事件に関与した自由民権家。福島県出身。叔父河野広中の影響をうけて自由民権運動に参加。1882年福島事件で検挙されたが免訴,釈放され,以後,急速にテロリズムに接近した。福島事件で弾圧した県令三島通庸の暗殺を計画したが発覚。84年9月同志16人とともに茨城県加波山で蜂起し失敗。逃走中逮捕され,無期徒刑に処された。94年特赦により出獄
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河野広躰」の解説

河野広躰 こうの-ひろみ

1864-1941 明治時代の自由民権運動家。
文久4年1月15日生まれ。河野広中(ひろなか)の甥。明治15年福島事件で検挙される。釈放後の17年,弾圧をくわえた福島県令三島通庸(みちつね)の暗殺を同志と計画したが,発覚して挙兵(加波山(かばさん)事件)。無期徒刑の判決をうける。27年出獄し,晩年は移民事業にたずさわった。昭和16年2月20日死去。78歳。陸奥(むつ)三春(福島県)出身。

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世界大百科事典(旧版)内の河野広躰の言及

【加波山事件】より

…1882年11月の福島事件以来,関東諸県の自由党員の間には,狂暴化する政府の弾圧にテロリズムで対抗しようとする傾向が強まった。福島事件に連座した河野広躰,三浦文治ら福島の自由党員は,83年4月釈放されると,福島県令三島通庸(同年10月より栃木県令兼任)の暗殺を計画してその身辺をねらった。一方,栃木県では下都賀郡の自由党員鯉沼九八郎が83年末,政府転覆をめざして爆弾の製造を開始していた。…

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