河本村(読み)こうもとむら

日本歴史地名大系 「河本村」の解説

河本村
こうもとむら

[現在地名]山陽町河本・山陽団地さんようだんち一―七丁目

すな川の右岸門前もんぜん村の南にある。慶長一〇年(一六〇五)の備前国高物成帳(備陽記)高月たかつき庄に村名がみえる。「吉備温故秘録」は鳥取ととり庄の村とし、かつて河本・立川たつかわ和田わだ三村高月村と称したという。貞治三年(一三六四)二月三日の葛木氏子孫掟書(黄薇古簡集)の鳥取庄中村の境を記したなかに「高月堺」とみえる。

慶長九年の検地帳(森文書)によれば田高六二七石余・三四町五反余、畑高二〇六石余・一六町六反余、名請人九〇(うち二町以上五、一反未満二二、屋敷持二七)

河本村
こうもとむら

[現在地名]但東町河本

日殿ひどの村の南、河本川の流域に位置する。南は西谷にしだに村、南東天谷あまだに村。文明一〇年(一四七八)八月吉日付播磨国広峯ひろみね神社(現姫路市)の但馬国檀那村付注文(肥塚文書)に「一かう本」「一かう本之こしろ衛門」とみえる。「かう本」は河本で、「こしろ衛門」は当村の檀那(信者)を引率する先達であろう。当村に広峯神社の檀那がおり、御師が巡回していたことが判明する。

河本村
こうもとむら

[現在地名]鏡野町河本

東は薪森原たきぎもりばら村、西は高山たかやま村、北ははら村、南は中北下なかぎたしも(現久米郡久米町)に接する。正保郷帳に河元村とあり、高二九四石余、うち田方二五二石余・畑方四二石余。「作陽誌」では家数四二・人数一八九。村名は、昔河本豊前入道がこの地を領したので村号としたとみえる。狩衣と升乢に堤坡がある。元禄一〇年(一六九七)の美作国郡村高辻帳では改出高一二四石余、開高二石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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