出石郡(読み)いずしぐん

日本歴史地名大系 「出石郡」の解説

出石郡
いずしぐん

面積:二五一・〇九平方キロ
出石いずし但東たんとう

但馬地方の郡で、県の北部東寄りに位置する。近代以降の分離・編入で郡北西部の安美あなみ地区が豊岡市に編入されたが、令制以来の出石郡は但馬国の東端を占め、南西は養父やぶ郡、西は気多けた郡・城崎きのさき郡、北は丹後国熊野くまの郡、東は同国丹波たには(のちに中郡)与謝よさ郡、南東から南は丹波国天田あまた郡に接していた。郡名の表記は「和名抄」諸本ともに出石、訓は同書東急本国郡部は「伊豆志」(郡郷部の出石郷は「以都之」)、同書名博本は「イツシ」、「拾芥抄」には「イヅシ」とある。丹後山地を水源として郡域を貫流する出石川は、太田おおた川・河本こうもと川・奥山おくやま川・谷山たにやま川・すげ川・袴狭はかざ川などの支流を合せて円山まるやま川の右岸に注ぐ。出石川の流域に出石盆地が形成されるものの平地は少なく、標高四〇〇―八〇〇メートル級の山々に囲まれる郡域の多くが山間地である。出石盆地から出石川の流れに沿って北西方面に平地が続き、現豊岡市域(旧城崎郡域)に通じているが、それ以外は他地域との交流はすべて峠越えで、丹後方面へは駒返こまがえし峠・じようばた峠・岩屋いわや峠・たき峠、丹後・丹波方面へは神懸かんがけ峠、丹波方面へは登尾のぼりお峠・小坂こざこ峠・天谷あまだに峠、養父郡へは奥山おくやま峠・米地めいじ峠・浅間あさま峠・狭間はざま坂などが古くから利用されていた。

〔古代〕

「日本書紀」垂仁天皇三年三月条には新羅の王子天日槍の将来した品々のうちに「出石の小刀一口・出石の桙一枝」がみえ、一書によると日槍は但馬の「出嶋」の人太耳の娘麻多烏を娶ったという。「古事記」応神天皇段には「伊豆志之八前大神」の娘の「伊豆志袁登売神」をめぐる説話が載るが、「出石郡」と明記する初見は天平九年度の但馬国正税帳(正倉院文書)である。管郷は「和名抄」によると小坂おさか・安美・出石・室野むろの埴野はにの高橋たかはし資母しもの七郷で、養老令の基準では下郡である。安美郷は天平勝宝二年(七五〇)一月八日の但馬国司解(東南院文書)に穴見郷、室野郷は天平宝字五年(七六一)二月二二日の奉写一切経所解案(正倉院文書)に牟呂郷、埴野郷は延喜六年(九〇六)の年紀がある出石町砂入すないり遺跡出土の木簡に土野郷、高橋郷は同町袴狭遺跡出土の木簡に高椅とそれぞれ異なった表記で記載されている。

「日本後紀」延暦二三年(八〇四)一月二六日条に「遷但馬国治於気多郡高田郷」とあるが、国治を国府と同義とみてこのとき国府の移転があり、さらにこの移転を他郡から気多郡高田たかだ(現日高町)への移転と考えて、出石町宮内みやうち出石神社の所在地を第一次但馬国府の地とする説(大槻如電「駅路通」)がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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