沢根城跡(読み)さわねじようあと

日本歴史地名大系 「沢根城跡」の解説

沢根城跡
さわねじようあと

[現在地名]佐和田町沢根村

真野まの湾に注ぐ質場しちば川の左岸標高約二〇メートルの高台にある。通称かみじようとよぶ。質場の港から城に向かって登る道の両側元町もとまち、城から道はさらに鶴子つるし銀山へ延びる。城地は空堀で囲まれ、沢根に入る船が手にとるように見える。城の成立は、鶴子銀山とかかわるものであろう。「佐渡故実略記」によると、当初沢根摂津守の居城。沢根摂津守は河原田かわはらだ郷の国人河原田本間氏旗下の村殿であった。天正一七年(一五八九)上杉景勝の佐渡攻めでは景勝方に属した。同年四月二六日の上杉景勝書状(桜井家文書)は本間左馬助宛へ出されており、上杉氏の佐渡渡海は五月中旬と定まり、富永備中守が派遣されることとなった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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