沖洲(読み)おきのす

日本歴史地名大系 「沖洲」の解説

沖洲
おきのす

[現在地名]徳島市北沖洲きたおきのす一―二丁目・南沖洲みなみおきのす一―二丁目

安宅あたけの東、新町しんまち川河口部北方の沖積地に位置し、沖洲浦一角をなす。安宅との間を沖洲川が南流し、新町川に合流する。沖須とも記される。寛永八―一三年(一六三一―三六)のものとされる忠英様御代御山下画図では当地一帯には漁村が描かれているだけだが、寛永一七年頃に安宅役所や船置場などが常三島じようさんじま住吉島すみよしじまから安宅に移って以後、安宅・沖洲浦地区は徳島藩水軍の根拠地となり、沖洲浦の一角に水主(加子)の居住地として沖洲がつくられた。徳島城の南鷲の門わしのもんから沖洲まで東に通る直線の道は沖洲街道と通称され、その南北に北屋敷・南屋敷といわれる水主屋敷が配置された。水主屋敷は格子戸のある門、長方形をした平屋建の母屋、通りに面した所に釜屋を設けた独特の間取りで、ほとんどの家がこの規格に統一されていた。奥には菜園が作られていることが多かった。屋敷地が道に面して短冊のように長細いところから短冊屋敷とよばれた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報