沓見村(読み)くつみむら

日本歴史地名大系 「沓見村」の解説

沓見村
くつみむら

[現在地名]敦賀市沓見

東・西・北の三方を山に囲まれ、南のみが開け莇生野あぞの村に接する。字風呂ふろあななどに横穴式古墳が八基ある。地名は字みやしたにある式内社の久豆弥くつみ神社に関連するか。中世野坂のざか庄に属した。東山ひがしやまの北の字城伏しろぶせは天正元年(一五七三)八月、織田信長が朝倉氏を攻略した際の陣地跡と伝える(沓見村誌)。「敦賀志」は中世以来の旧家をあげ、次のように記す。

<資料は省略されています>

慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図に村名がみえ、高一千三二四石余。正保郷帳も同高で、うち田方一千二六七石余、畠方五七石余と敦賀郡内最大級の村である。初め小浜藩、寛文八年(一六六八)以降支藩の安房加知山藩に属した。

沓見村
くつみむら

[現在地名]丸山町沓見

石神いしがみ村・西原にしばら村の西、丸山川右岸の台地に位置する。慶長二年(一五九七)の安房国検地高目録に村名がみえ、高七九九石余、うち田方は五三〇石余。里見氏給人領。同一一年・同一五年の里見家分限帳には久津見村とあり、同高、給人領。元和四年(一六一八)検地が行われた(同年「検地帳」沓見区有文書)。正保郷帳では田高五六〇石余・畑高三一二石余、うち六二三石余は旗本松平忠直領(寛永一九年から)、二四九石余は譜代大名三枝守昌領(同一五年から)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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