池田長吉(読み)いけだ ながよし

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「池田長吉」の解説

池田長吉 いけだ-ながよし

1570-1614 織豊-江戸時代前期の武将,大名
元亀(げんき)元年生まれ。池田恒興(つねおき)の3男。羽柴秀吉養子となり,小牧長久手(ながくて)の戦いに出陣,九州や小田原攻め従軍文禄(ぶんろく)の役では船奉行をつとめる。関ケ原の戦いで徳川方に属し,兄輝政とともに岐阜城などを攻略。その功により慶長5年因幡(いなば)鳥取藩主池田家初代となる。6万石。慶長19年9月24日死去。45歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の池田長吉の言及

【因幡国】より

…91年(天正19)全国的な太閤検地の一環として検地が実施され,中世成立期以来の荘園制支配体制は最終的な解体をみた。【井上 寛司】
【近世】
 1600年(慶長5)関ヶ原合戦後,徳川家康は西軍に味方した大名を改易・転封させ,鳥取城には池田長吉,若桜鬼ヶ城には山崎家盛を配置,鹿野城主の亀井茲矩は東軍であったので,加増された。このうち,鳥取城を修築,城下町を整備した池田長吉,東南アジアの地に幕府の公認の朱印船を3度も派遣し海外貿易を行った亀井茲矩のことが有名である。…

【鳥取[市]】より

…鳥取県東部に位置する県庁所在都市。1889年市制。人口14万6330(1995)。市域は千代(せんだい)川下流部の鳥取平野と周辺の山地からなり,県の政治,経済,文化の中心的役割を果たしている。千代川東岸の低湿な三角州に位置する中心市街地は,近世には池田氏の城下町で,袋川下流部の河道を付け替え,池沼などを埋め立てて形成された。1871年鳥取県が成立したが,75年からの5年間は県全体が島根県の管轄下におかれ,松江に中心が移ったため,鳥取の町は一時さびれた。…

【鳥取藩】より

…ただ垣屋光成・恒総父子支配下の浦富藩領の巨濃(この)郡銀山から産出する銀を直接管理したようで,1598年(慶長3)長熙(兵部法印)の名で伏見の秀吉のもとに運上9282枚3両6分2厘を送っている(慶長三年蔵納目録)ことが知られる。 1600年の関ヶ原の戦で西軍に従った宮部氏に代わって,近江国から池田長吉が入部して鳥取城主となり,宮部時代の高草郡を除く3郡と西軍垣屋恒総の跡の巨濃郡を加えて4郡6万石を領し,約17年在城した。その間,天守や城郭の修築・整備を行うとともに,鳥取の外港ともいうべき高草郡賀露の港を八上郡袋河原村と交換に,隣藩の鹿野藩主亀井茲矩(これのり)から譲り受け,鳥取城下の発展をはかったと伝える。…

※「池田長吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」