池田勝正(読み)いけだ・かつまさ

朝日日本歴史人物事典 「池田勝正」の解説

池田勝正

没年天正6(1578)
生年:生年不詳
戦国時代の武将。摂津国池田城(大阪府池田市)城主。長正の嫡子。八郎三郎,筑後守。永禄6(1563)年2月家督を継ぐ。同9年8月には,三好義継に属して伊丹親興を攻撃。翌10年5月,岩成友通らと松永久秀を奈良に攻撃する。11年10月,織田信長に池田城を攻撃されて降伏足利義昭の命に従って親興,和田惟政らと和し,摂津3守護のひとりに任じられた。12年1月,三好三人衆に攻撃された京都本国寺の義昭救援元亀1(1570)年,三好長逸に通じた弟知正らに追われ,義昭,細川藤孝に仕えたのち,有馬氏に寄食した。

(森田恭二)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「池田勝正」の解説

池田勝正 いけだ-かつまさ

?-1578? 戦国-織豊時代の武将。
父池田長正の跡をつぎ,永禄(えいろく)6年(1563)摂津池田城(大阪府)城主。11年織田信長に攻められて降伏したが,本領安堵(あんど)され,摂津三守護のひとりとなる。元亀(げんき)元年三好長逸(ながゆき)と通じた弟知正(ともまさ)(重成)に城を追われた。天正(てんしょう)6年死去という。名は勝政ともかく。

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