江東(区)(読み)こうとう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「江東(区)」の意味・わかりやすい解説

江東(区)
こうとう

東京都区部の南東部、東京湾に臨む区。1947年(昭和22)深川区と城東区が合併して江東区となった。地名は隅田川(すみだがわ)の東という意味。なお、西半部の深川地区の名は、江戸初期摂津(せっつ)国(大阪府)から移住し開拓にあたった深川八郎右衛門(ふかがわはちろうえもん)(?―1661)の苗字にちなんでいる。隅田川と荒川(荒川放水路)に囲まれた三角形の沖積低地の南半部を占める。この三角形の低地は海抜4メートル以下であるが、工業用水のための地下水過剰くみ上げによって地盤沈下し、海面下の所も出現し「江東ゼロメートル地帯」ともよばれている。とくに地震の際の高潮の浸入に備えて防潮堤で囲み、河川には水門がつけられている。昭和初期からの埋立地は浅海の東京湾岸に造成豊洲(とよす)、東雲(しののめ)、有明(ありあけ)、辰巳(たつみ)、夢の島、新木場(しんきば)、若洲、青海(あおみ)などの新しい土地が生まれている。

 東西方向に、北からJR総武(そうぶ)線、京葉道路(千葉街道、国道14号)、首都高速道路7号小松川線、新大橋通りと都営地下鉄新宿線、永代(えいたい)通りと東京地下鉄東西線が通り、西部を南北に清澄(きよすみ)通りと都営地下鉄大江戸線が走る。南半の埋立地には首都高速道路湾岸線、国道357号が併行して走り、鉄道系ではJR京葉(けいよう)線、東京地下鉄有楽町線、ゆりかもめ、東京臨海高速鉄道(りんかい線)が通じている。また、JR総武線亀戸(かめいど)駅から東武鉄道亀戸線が発し、首都高速道路湾岸線と中央区の都心環状線との間を同9号深川線が結んでいる。さらに東京地下鉄半蔵門線も区内を走る。

 江戸時代は開発によって町屋、武家屋敷地であったが、とくに明暦(めいれき)の大火(1657)後に発展するようになった。そのなかで亀戸天神の亀戸、富岡八幡宮(はちまんぐう)と深川不動堂のある深川はにぎわい、ことに深川は木場(きば)の繁盛によって江戸の代表的な下町(したまち)の一つとなった。江戸と千葉方面を結ぶ小名木(おなぎ)川など水路が縦横に通じ、佐賀、福住(ふくずみ)など隅田川下流の左岸は倉庫、問屋の街として発展した。明治以後は江東工業地区として紡績、化学、金属などの近代工業が立地し、北部の亀戸、森下などには日用雑貨の中小工場が集まっている。また埋立地はガス、機械、製鋼などの大工場のほか、新木場の貯木場、有明、東雲、豊州、青海の埠頭(ふとう)、さらに住宅団地、ゴルフ場、公園などに利用されている。とくに東京臨海副都心として開発された青海、有明地区の発展が著しく、港区の域内に含まれる台場地区と連続した近代的計画都市となっている。

 亀戸天神は鷽替(うそか)え神事、藤まつり、学業成就祈願で知られ、富岡八幡宮はもと江戸三大祭の一つに数えられた深川祭で知られる。清澄庭園は明治の豪商岩崎弥太郎(やたろう)の別邸で、明治を代表する庭園の一つ。その西方に日本最初のセメント工場を記念する碑がある。常盤(ときわ)には芭蕉(ばしょう)が住んだ深川芭蕉庵(あん)跡、芭蕉記念館、白河(しらかわ)には江戸六地蔵の一つである霊巌(れいがん)寺がある。木場には、材木を扱う筏師(いかだし)(川並(かわなみ))による角乗りの曲技(東京都指定無形民俗文化財)が保存されている。なお、1981年の「緑と水のやすらぎのある町江東区」や1994年(平成6)の「水彩都市・江東」をスローガンに、親水(しんすい)公園や水上バスなどが設けられた。文化施設に深川江戸資料館(1986年開館)、東京都現代美術館(1995年開館)などがある。面積42.99平方キロメートル(荒川河口部の面積を含まず)、人口52万4310(2020)。

[沢田 清]

『『江東区の歴史』(1976・江東区)』『『江東事典(史跡編)』(1992・江東区)』『『江東区史』(1997・江東区)』


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