永正寺(読み)えいしようじ

日本歴史地名大系 「永正寺」の解説

永正寺
えいしようじ

[現在地名]和歌山市永穂

休腰山と号し、浄土真宗本願寺派本尊阿弥陀如来。寺蔵の永正寺縁起によると、もとは真言宗であったが、文明八年(一四七六)に本願寺八世蓮如が熊野に詣でた際、権守正綱邸に立寄り、蓮如の勧化で浄土真宗に帰依したとする。しかしこの時の蓮如の紀伊下向は伝説にすぎないというのが定説である。ただし同一八年に蓮如が紀州に下向したこと、その際に権守正綱邸を訪問したことは間違いない。蓮如筆「紀伊国紀行」には「紀伊国長尾といひし所へたちよるへきにてありし程ニ(中略)然間長尾の権守といひし俗人の在所へ立寄やす」むとあり、蓮如は当初から長尾(永穂)の権守という俗人の所を訪問することを意図としていたといえよう。

永正寺
えいしようじ

[現在地名]芸西村西分

土佐湾に沿う国道五五号から西分にしぶん平野を北に入った農村集落の中にある。得光山月慶院と号し真言宗智山派。本尊阿弥陀如来。「南路志」所引の寺記に「開基不知、往古穴内村新城と云処有之、天正年中吉田伊賀正と云人此処ニ建立と云伝」とあるが、「土佐探古録」によれば、寺蔵の「応永九年五月八日書之 二条烏丸絵所」と記された曼荼羅の裏書に「于時天正十二甲申年十月廿九日表縁結作五条東坊所 中屋甚四郎 海部乱放 松本久左衛門方寄進 花廷怡春今土州安喜郡和食栄正寺権大僧都法印尭憲」とあり、天正一二年(一五八四)には和食わじきの地に移っていたことが知られる。

永正寺
えいしようじ

[現在地名]海南市日方

日方ひかたの北西部、じよう山南東方にある。弁財天山と号し、浄土宗。本尊阿弥陀如来。「続風土記」は延宝記を引いて永正元年(一五〇四)に京都浄教じようきよう(現京都市下京区)の超蓮社上誉の弟子「上蓮社自正(杲か)誉」の開基と記す。果誉が熊野参詣の途次、当地で専修念仏を布教したところ、付近の禅宗八ヵ寺が激怒、堂宇を破却されそうになったので、天皇に奏上して年号を付した寺号と勅額をもらい掛けたところ、濫妨は止んだという。

永正寺
えいしようじ

[現在地名]江南市両高屋

高屋山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊釈迦如来。境内八三二坪。永正年中(一五〇四―二一)一説に永正元年(尾張志)独秀乾才により創建され、初め高屋庵と号したが、享保一二年(一七二七)改称した(徇行記)。安永三年(一七七四)火災で焼失、文化元年(一八〇四)葉栗郡笹野ささの(現一宮市)妙光みようこう寺一山の法系を継ぎ法地となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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