水無瀬殿跡(読み)みなせどのあと

日本歴史地名大系 「水無瀬殿跡」の解説

水無瀬殿跡
みなせどのあと

[現在地名]島本町広瀬一丁目・百山

鳥羽上皇によって水無瀬野に建てられた離宮。皆瀬御所広瀬ひろせ御所などともよばれた。水無瀬殿は二度の造営がなされた。最初は正治元年(一一九九)頃、水無瀬川が淀川に合流する地の右岸、現在の水無瀬神宮の地に建てられた。その初見は「明月記」同二年一月一二日条で皆瀬御所とある。この離宮への後鳥羽上皇御幸鳥羽とば(現京都市伏見区)から船で淀川を下り、離宮内の釣殿へ直接船を着ける例が多かった。藤原定家は度々この離宮を訪れ、上皇より和歌の詠進・評定を命じられている(明月記)。また上皇の御幸の時は離宮へ江口えぐち(現東淀川区)神崎かんざき(現兵庫県尼崎市)の遊女たちが出迎え余興が行われた。同書に記す建仁元年(一二〇一)三月一九日から二三日の御幸をみると、二〇日は山城石清水いわしみず八幡宮の臨時祭に出御ののち、夜には白拍子合があり、翌日には釣殿で五人による今様があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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