水戸・佐倉道(読み)みと・さくらみち

日本歴史地名大系 「水戸・佐倉道」の解説

水戸・佐倉道
みと・さくらみち

江戸日本橋と常陸水戸(現茨城県水戸市)・下総佐倉を結ぶ街道で道中奉行が管轄する街道の一つ。日本橋から千住宿までは日光道中と同じ経路をたどり、千住宿で日光道中から分岐新宿にいじゆく(現葛飾区)に至って水戸道と佐倉道に分れた。千住宿からは弥五郎やごろう新田(現足立区)小菅こすげ村―上千葉かみちば村―下千葉村―砂原すなはら村―亀有かめあり(以上現葛飾区)と経て新宿に至る。新宿から先、水戸道は金町かなまち(現同上)に入り、同所で江戸川を船で渡り、下総国松戸(現千葉県松戸市)から北東へ抜けた。佐倉道は新宿―曲金まがりがね村―鎌倉かまくら新田(以上現葛飾区)小岩田こいわだ村―上小岩かみこいわ(以上現江戸川区)を経て伊予田いよだ(現同上)で同じく江戸川を船で渡り下総国市川(現千葉県市川市)から南東へ抜けた(分間延絵図)。なお金町―松戸間には近世を通じて関所が設定されていた。

天正一〇年(一五八二)五月九日、北条氏家臣で江戸城将の遠山直景が発給した伝馬手形(写、武州文書)では江戸―浅草―葛西新宿かさいにいじゆくを経て臼井うすい(現千葉県佐倉市)に至る道筋が確認できる。文禄四年(一五九五)六月四日の伊奈忠次ら代官頭らによる伝馬手形(谷本家文書)でも浅草―葛西(新宿)―市川を経由して臼井および佐倉へ馬継ぎが行われている。また一七世紀初頭の様子を記したものとされる下総之国図(千葉県船橋市西図書館蔵)でも浅草から橋場はしば(現台東区)を経て隅田川を渡り、葛西新宿付近を経由して市川方面に至る道筋が確認できる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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