精選版 日本国語大辞典 「市川」の意味・読み・例文・類語
いちかわ いちかは【市川】
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
兵庫県南西部を北から南へ流れ瀬戸内海の播磨灘に注ぐ川。流長七五・八キロ、流域面積四九六平方キロ。流長では県内で加古川に次ぎ第二位であるが、流域は比較的狭く、加古川・
姫路市域北東部の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
千葉県北西部の市。人口47万3919(2010)。1934年市川,八幡,中山の3町と国分村が合体して市制を施行し,その後行徳町など周辺の町村を編入した。市域は両総台地の西端から江戸川の三角州にまたがり,江戸川をはさんで東京都江戸川区に接する。中心市街の市川,八幡,中山は千葉街道の街村で,成田・木下(きおろし)両街道の分岐点に位置する行徳は近世から明治にかけて江戸川の河港であり,行徳塩田の中心として栄えた。明治末に総武鉄道(現,JR総武本線)の市川,下総中山の駅ができ,大正初めに京成電鉄が開通して東京の住宅地となり,台地西部の国府台(こうのだい)に軍施設がおかれて軍隊の町といわれ,関東大震災後には京浜工業地帯がのびて工業化が進んだ。戦災にあわなかったため第2次世界大戦後には人口が急増し,台地の旧軍用地にいくつかの大学が集まった。その後,京葉臨海工業地帯の埋立地に鉄鋼,金属などの工場が立地し,日本一の輸入港である千葉港の一部となった。東関東自動車道のインターチェンジがある。台地では野菜,畜産,果実などの近郊農業が行われ,三角州の水田はれんこんの大産地であったが,現在は埋め立てられて住宅地となっている。市内に名所,史跡が多く,市東部の姥山貝塚(史),国府台北部には堀之内貝塚(史),下総国府跡や国分寺跡があり,また西端の里見公園は1538年(天文7)と64年(永禄7)の2回にわたって安房里見氏と小田原の北条氏が激戦をした古戦場で,園内の桜と眼下の江戸川の眺望のよさで近世から行楽地となっている。台地のふもとに《万葉集》に悲恋をうたわれた真間手児名(ままのてこな)をまつる堂がある。千葉街道に沿って天然記念物の千年イチョウがいろどる下総一宮の葛飾八幡宮,平将門征伐に平貞盛が八門遁甲の陣をしいた八幡の藪不知,日蓮宗の名刹(めいさつ)中山法華経寺がある。
執筆者:菊地 利夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
兵庫県中央部を南流して播磨灘(はりまなだ)に注ぐ川。延長75.8キロメートル。播但(ばんたん)山地の東端、粟鹿山(あわがやま)の西に発し、朝来(あさご)市の生野ダムを経て、神崎(かんざき)郡を南流する。福崎町付近から両岸に河岸段丘が発達し、下流では姫路平野を形成する。その水量と水質が臨海地域発展の原動力となった。水運は発達しなかったが、市川の谷は山陰、山陽を結ぶ重要な連絡路であり、現在はJR播但線、国道312号、播但連絡道路が走っている。
[大槻 守]
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
1/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
12/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新