水島(満島)(読み)みずしま(みづしま)

日本歴史地名大系 「水島(満島)」の解説

水島(満島)
みずしま(みづしま)

[現在地名]唐津市東唐津ひがしからつ

藩政期までは水島・満島いずれも使われたが、唐津藩に提出する書類には「水島」とされた。明治以後は満島みつしまと称している。

唐津城築城(一六〇二―二八)以前の松浦川と波多はた(徳須恵川)は二つの流れで、波多川は現在の東城内ひがしじようない大名小路だいみようこうじの間に川口をもち、松浦川は一六世紀末にかがみ神社の西、現在の千人せんにん塚付近より海に入っていた。したがって水島は両川に挟まれた満島山まんとうざんを中心とする砂州であった。神屋宗湛の「茶会日記」には天正一四年(一五八六)「唐津村ヲ出テミス島ヨリ」と記される。

築城にあたり、満島山周辺の漁民は、改修により松浦川の対岸となった水島に移され、多くは山下姓を名乗った。また満島山にあった神社仏閣のうち八幡社・津守つもり観音は水島に移された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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