武道専門学校(読み)ぶどうせんもんがっこう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「武道専門学校」の意味・わかりやすい解説

武道専門学校
ぶどうせんもんがっこう

第二次世界大戦前、京都の大日本武徳会によって開設された武道教員養成のための教育機関で、東の高師、西の武専と並び称された。武徳会では1895年(明治28)の創立以来、武術の普及のため本部に教師を置き諸武術の講習を行ってきたが、1905年(明治38)予定事業の一つである武術教員養成所を開設し、当面、剣術および柔術の教員養成を開始した。入学資格は剣道は五級、柔術は甲級、学科は中学校3年以上の素養ある者で、修業年限は1年ないし3年、剣術は四段ノ下、柔術は二段になれば卒業ができた。定員は40人、術科の教員は本部教員で、剣術は三橋鑑一郎(みつはしかんいちろう)、内藤高治(ないとうたかはる)、門奈正(もんなただし)ら、柔術は磯貝一(いそがいはじめ)、永岡秀一(なかおかひでかず)、佐藤法賢(ほうけん)らであった。この養成所の開設期間はわずか六か年であったが、その卒業者はその後の武道界の指導的な役割を果たした。1910年、中学校卒業者を対象とする「武徳学校」(3年制の師範部)を発足させ、12年1月には、文部大臣認可を得て専門学校令による武術専門学校(予科1年、本科2年)を設立した。さらに17年(大正6)には修学年限を4年制とし、19年8月には大日本武徳会武道専門学校と改称。以来独特の学風をもって武道界に多く人材を送り出した。しかし、42年(昭和17)戦時体制強化のため武徳会が政府外郭団体に編入され、校名も大日本武道専門学校と改めたが、終戦後の武道禁止、学校閉鎖、武徳会の解散命令などにより、あわただしく40年余のその歴史を閉じた。

[渡邉一郎]

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