内藤高治(読み)ないとうたかはる

日本大百科全書(ニッポニカ) 「内藤高治」の意味・わかりやすい解説

内藤高治
ないとうたかはる
(1862―1929)

近代の名剣士。水戸藩の弓術師範市毛五郎右衛門(いちげごろうえもん)の六男に生まれる。1873年(明治6)12歳で北辰(ほくしん)一刀流小沢寅吉(おざわとらきち)に入門、14歳切紙(きりがみ)、18歳目録に進み、20歳で親戚(しんせき)の内藤家を継いだ。83年、上京して榊原鍵吉(さかきばらけんきち)の道場修業1年余、さらに各地を巡歴して腕を磨き、88年27歳、警視庁の剣術世話係となった。94年牛込(うしごめ)山吹町に養真館を創設。99年武徳会に招かれて京都に移り、1911年(明治44)武術専門学校主任教授。この年の大日本帝国剣道形の制定にあたり東京高等師範学校の高野佐三郎らとともに主査を務め、13年(大正2)剣道範士の称号を受け、名実ともに関西剣道界の最高指導者の地位にあった。

[渡邉一郎]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内藤高治」の解説

内藤高治 ないとう-たかはる

1862-1929 明治-昭和時代前期の剣道家。
文久2年生まれ。明治6年12歳で北辰(ほくしん)一刀流の小沢寅吉(とらきち)に入門,のち榊原鍵吉(さかきばら-けんきち)の道場で修業。警視庁の剣術世話係から,32年武徳会の教師となり京都にうつる。44年武術専門学校主任教授。剣道範士。昭和4年4月9日死去。68歳。常陸(ひたち)(茨城県)出身旧姓は市毛。

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